「若手のポジションが上がってきてだんだん立場がなくなってきた」「周囲の同僚は、みんな元気がなくて、毎日仕事をこなすだけ。こんな中にいたら自分までおかしくなりそう」「会社の評価もあまり良くない」
「仕事を頑張って上も目指しても自分がやりたいことができない」「昇格するには上司の媚びないといけない。自分はそれができないタイプ」「会社には自分の力だけではどうしようもないことがある」
「早期退職といった話も出てきている」「今の環境のままだと不安だけが募ってくる」「会社に頼っているのは危険だと感じた」「もっといきいき前向きに毎日を送りたい」
「でも家族がいるし、子供たちが自立するまで教育費もいる」「住宅ローンもあるし、お金が掛かるのはこれからだ」「今さら転職でもないような気がする」「でも自分に何ができるんだろう?」
いったいどこからはじめたらいいの?モヤモヤ・・・
40代は、年齢として、立場として、父親として、個人として、公私ともにとても難しい年代です。これから先、会社に頼ったままの人生でいいんだろうか?人生一度きり、自分で何かできることはないんだろうか?そんなモヤモヤの中にいませんか?
本記事ではそんなモヤモヤを解消し、40代からの起業・複業を成功する方法をまとめています。
40代からの起業は遅い?
「起業は若いときにするもの」「40代からなんて取り掛かりが遅いのでは・・・」そんなふうに思っているかもしれません。結論から言うと決して遅いなんてことはありません。
起業は思い立ったときが吉日だからです。人生の転機は人によって違います。40代になった今、その転機が訪れたということです。遅いとかそういうことを考える以前に、おさえておいてほしいポイントがあります。以下を確認していってください。
転職するしかないは本当?自身の体験談からわかったこと
「いきなり独立起業なんてハードルが高いし。転職してみるしかないか・・・」普通に考えるとそうなりますよね。では40代から転職活動を始めたらどうなるのか?まずは僕自身の体験談を紹介します。
僕は20年以上大手電機メーカーに勤めていました。30代半ばに幹部候補生。同期No1で管理職にも抜擢され将来有望のサラリーマンでした。
現場あがりの性分、本社のやり方に納得がいかないところが多々ありました。「現場で起こっていることを直視しないから会社は良くならないんだ!」日々強く感じながら会社生活を送っていました。
そんな中、ある公式な場で身分不相応な立場なのに幹部へ向かって直言をしてしまいます。結果、左遷、降格、減給などの憂き目に遭い、あげくは上司の強烈パワハラで追い込まれていきます。
自殺指向にまでなりました。出る杭は打たれるの典型だったわけです。
このとき43歳。出口が見つからないまま、会社から逃げるように辞めていくことになります。22年新卒以来一つの会社でやり続けてきました。
他の業界、他の会社なんて全く知りません。そんなすべてが初めての転職活動でした。ここで大きな壁にぶち当たります。
経歴書を書いて数社に送ります。書類選考の段階でことごとく落とされていきます。
「これまで部門を動かしてきたのに・・・」「自分の実力が評価されない」「こんなはずでは・・・」
だんだん求人もなくなっていきます。「自分は世の中から認めてもらえない人間なんじゃないだろうか?」最後は人間不信にまで追い込まれていきました。
冷静になるとわかることですが、実はそんなことではないんですね。単に先方の会社のニーズに合うか合わないかだけの話です。でもその場にいるとそうは思えなくなるのが転職活動の怖い一面です。
こうした試行錯誤の数ヶ月を経て、自分がやりたいことと先方のニーズがマッチした案件で転職が決まります。ベンチャーでした。年収はダウンしました。
その後、ベンチャー倒産の憂き目に遭い、45歳で再度転職。ここではさらに苦労重ねました。もう収入とかやりたいことだと言っていられない状況でした。
4ヶ月強かけて従業員30人程度の中小企業に滑り込みました。年収はピーク時の半分でした。
転職だけが選択肢ではない
40代のあなたは今、それなりの立場にいて、それなりの収入を得ているはずです。「収入を維持、願わくばアップして、新しい仕事に就きたい」それが根っこの思いかもしれません。
でも多くの場合、それは叶いません。収入維持ができる条件は、今の仕事と同じ業界で同じ仕事で同じ立場であること。こんな条件の仕事はまずあり得ません。
「自分は組織をまとめていたし、マネジメント力には自信がある」そう感じますよね?僕もそうでした。マーケティングの仕事をし、たくさんのプロジェクトをまとめ指揮し、成果も出してきました。
でも残念ながら、そのプライドは転職市場では一瞬にしてへし折られてしまいます。まして、キャリアチェンジを考えるなら、年収ダウンは避けては通れないのが実態です。
相談相手になる人材紹介会社や転職キャリアコンサルタントという肩書きの人はあなたの相談に乗ってくれます。でも知っておいてほしいのは、彼らはあなたが転職を決めてくれてはじめて成果が上がる職業だということです。
ということはあなたがより転職しやすい企業を紹介するわけで、必ずしもあなたの人生を考えてのアドバイスではないということです。
また日々たくさんの相談者が来るので、それをこなすことに精一杯です。特に大手と言われるところほどその傾向があります。
僕自身、43歳から2度の転職活動でエージェントを利用しました。ここでも苦渋の経験をいやというほどしました。(もちろん本当に親身になってくれる人はいると思います。僕は残念ながら出会えませんでしたが・・・)
あなたはわらをもすがる思いで相談に乗ってもらうので、そんなことにまで頭がまわるはずがありません。40代からの転職活動の厳しさが何となく伝わりましたか?
社会情勢を再認識する
金融庁は人生100年時代へ向けて、個人の収入は2000万円が不足すると発表しました。(2019.6.3)男性65歳以上、女性60歳以上の夫婦では、平均年金収入が21万円。必要な支出に対し毎月約5万円の赤字が出ると推計しています。これから20年生きると1200万円、30年だと2000万円が不足するという計算になります。
これに対し国は「再就職をして働け」「投資をして資産形成をしろ」「今の家計を見直して節約しろ」といった自助努力をするように示しています。つまり自分で何とかしろという意味です。
「そんなこと言われても」「国はおかしい」「無責任だ」そう感じますね。でも頭にきても文句を言っても国は何をしてくれません。
加えて年金受給開始時期が延長されることも予測されています。5年延びたらさらにその間の収入はどうするかという問題になります。40代はまさにそこに当たり、このままいけば一番のしわ寄せが来る世代になります。
国や会社に頼っていても何も好転することはありません。自分で何とかするしかないのです。起業するしないとかの問題でなく、自分で生きる力をつけていかないといけない時代に突入した。今その認識をしっかり持つ必要があります。
突然会社からハシゴをはずされたときを想定する
これまで会社の成長を考えてそれなりに努力してきた。家族も犠牲にしながら仕事をしてきた。自分で考えて動き、結果も出してきた。なのにある日突然、一定の年齢が来たら賞味期限切れ扱いをされる。早期退職や再就職支援といったものが表に出てくる。
こんなふうにいきなりハシゴをはずされて納得いきませんよね?その気持ちはわかります。
ただここでいくら会社に対して文句を言っても状況は改善しません。文句を言えば言うほど自分がみじめになるだけです。ならばこの転機をチャンスととらえてみてください。早期退職で余分にまとまったお金がもらえるなんてそうそうないことです。
ちなみに僕が会社を辞めた頃は早期退職といった制度はありませんでした。もし早期退職制度があったとしたら、どれだけ助かったことでしょう。自分でつくる人生へ向けた一時資金ができたという感じでとても有り難い話です。
自分で稼ぐ力を身につける
2020年から新型コロナ禍で世の中が激変しました。外出自粛が余儀なくされ、否応なく在宅勤務になりました。結果としてオンラインやリモートワークが浸透しました。それまで国が旗振りしても目に見えて形になることがなかった働き方改革が一気に進みました。
コロナで企業の経営状況も悪化しています。今後、早期退職やリストラが加速していくことは否めません。この流れに乗っていよいよ副業・兼業解禁が進み、個人が自律して多様な働き方ができる環境整備が進んでいきます。
さらには集中豪雨や地震といった自然災害などこれからは予期できないことが起こる可能性が高いと言えます。新型コロナ禍、通りを歩く人がみんなマスクをつけている情景を誰が予測できたことでしょう。
非常な事態が起こったとき、もし自分の身に降りかかってきたとき、何より必要になるのは自分自身で立てる力をつけておくことです。自分でシゴトをつくり稼ぐ力です。それさえあれば少々何があっても生きていくすべを持つことができます。
会社に寄りかかっていたら大変なことになります。環境が激変する今こそ働き方を変えるチャンスが到来しています。やるべきは自分でシゴトをつくる準備に入ることです。
コミュニティOBOGの40代起業の職種例・おすすめの職種
「起業するにはどんな職種を選んだらいいの?」「どんな職種の人が多いの?」よくある質問です。答えは「職種は自分でつくる」です。といってもなかなかイメージが湧かないでしょう。
僕は40代50代を中心としたミドル層の働き方多様化を実践するコミュニティを運営しています。2010年からスタートし、2022年現在12年目に入ったところです。
写心家、野営家、ギフトマンガプロデューサー、造形工作師、楽食士・・・これらがコミュニティOBOGたちの職業です。どれも今まで世の中になかった肩書きです。職種は自分でつくるとはこのことを意味します。
今ある職種に自分を当てはめようとしないでください。枠の中に入れると、自分の可能性を閉じていくことになります。当てはめてもたのしくありませんよね。
自分がありたい生き方を定め、それを具体化するのが働き方。自分の働き方を表すのが肩書き。この順番で組み立てていきます。自分だけのオリジナルなシゴトをつくっていきましょう。
コミュニティOGの40代女性起業家・複業家の成功例|実話インタビューから
これまでコミュニティには40代から自分の人生を動かし始めた女性が多数います。ここでは主に複業からスタートした二人の事例をインタビュー形式でご紹介します。
48歳Rさん|家事・子育て・会社員をしながら4年間複業
三宅:自己紹介をお願いします。
Rさん(以下敬称略):現業は一般企業の情報システム部に所属をしております。
子育てがひと段落、生涯現役でやれるシゴトをつくりたい
三宅:複業としてはどんなことをしていますか?
R:大切な人に感謝の気持ちを伝える「ギフトマンガ」というものをやっています。プレゼントをしたい人と自分との間のいろいろなエピソードをマンガにして、感謝の気持ちという形に変換して届けるサービスです。
三宅:複業を始めようと思ったキッカケはどんなことですか?
R:やろうとしたのは結構長くて、20年前ぐらいに元々パソコンのインストラクターになりたくて、その時にパソコンの仕事で独立できたらいいなと思っていたのですが、結婚して子育てもあったので、一旦自分の中では終わったことになっていました。
子育てに手が離れてからやっぱりもう一度やりたいと。今の仕事だけではなくて本当に一生涯かけていつまでも現役でやれるようなというシゴトを自分の中でつくりたいなと思ったのが、複業を始めたキッカケです。
三宅:複業を始めて期間的にどのくらいになりますか?
R:FAAに入って本格的に始めましたので、だいたい4年ぐらいです。
他もやってみたけど、やりたいことではないことがわかった
三宅:4年間で最初から「ギフトマンガ」というところまでいったのですか?
R:ぜんぜんいきませんでした。最初はパソコンの仕事で誰かの役に立ちたいと思っていたので、一度トライしたことがあります。自分でパソコン担いでいろいろな人のところに行って、困っている人を助けるということをやってみたのですが、意外と大変でこれを今の仕事をやりながらずっとやり続けられるのかとだんだん苦しくなってきて、やりたいことはこれでなないんだとわかりました。
それでもう一度考え直して、やっぱり本当に心からたのしいことをシゴトにしようと思い、自分の中で何が好きなのかなと思って考えたら、マンガを読むことだったのです。それをシゴトのネタにしようと思い、それからいろいろアイデア出しをして「ギフトマンガ」というシゴトを考えました。
主婦業をしながら朝時間を活用
三宅:複業活動というのは仕事を二つやることなので時間を捻出するのにみなさん苦労されていますが、レイチェルさんはどんな工夫をされていますか?
R:正社員なので朝の9時から18時までは会社の仕事をやっています。それ以外となると朝と帰宅してからと休みの日になります。主婦なので夜は帰宅してから家事があり、夜は基本的にはやらずに、だいたい朝会社へ行くまでの時間は複業を考える自分の時間にしてやっています。
三宅:朝は何時ぐらいからですか?
R:目覚ましは4時なのですが、5時ぐらいから8時までの3時間ぐらいで、その間にお弁当をつくったり身支度とかあるので正味1時間ぐらいです。
三宅:週末はまとまった時間があるから何かするとか?
R:割と土日は出かけることが多かったり、イベントに参加することが多いので、休みの日に丸々一日作業する日はめずらしいです。
三宅:フルフルの毎日ですね。
R:でもメリハリがあるのですごく楽しいです。
仲間ががんばる姿を見てがんばろうと思い、仲間が応援してくれるのが原動力
三宅:メリハリ的なお話がありましたが、現業をやりながらだと結構やる気がでこぼこすると思いますが、どうやってモチベーションを保っていますか?
R:モチベーションは仲間づくりです。仲間がいるだけで切磋琢磨できます。仲間ががんばっているのを見ると自分もがんばらないといけないなと思う。また反対に自分自身ががんばったことに対してみんなが心から応援してくれる。がんばったねと言ってくれて、それがうれしくてモチベーションになるなと思います。
FAAだけではなく、いろいろなコミュニティがあります。FAA内でも自主勉強会などありますので、課題を出してもらったり課題をクリアすることで背中を押してもらうというかやらなければならないなというふうに自分を追い込んでやっていくということもすごくモチベーションとしては保っているもとのひとつと思います。
たのしいからぜんぜん苦にならない、爽快感、達成感
三宅:ストイックですね。
R:やっぱりたのしいので全然苦にならないです。もちろん、なんで私こんなことやってるんだろうとかいっぱい思うのですが、やり終わった後はすごく爽快感がありますし、達成感もありますし、やったらやった分だけみんなが応援してくれてよろこんでくれるというのが本当にうれしいので、大変なときもありますが、そういう意味ではたのしいです。
現業と複業の両方あるからがんばれる
三宅:隣りあわせの質問になりますが、ご飯食べるための会社員の仕事と複業のバランスのとり方をしていますか?
R:仕事が忙しくなるとどうしても自分の中に余裕がなくなるので、そういう意味では複業にかける時間というのが短くなるかもしれないのですが、現業自体もすごくたのしいんです。両方あるからこそがんばれる的なことがあるような気がします。
どちらかというと飽き性なのでひとつのことばかりやると嫌になるので(笑)、ちょうどいいバランスで気持ちの切り替えができます。
幸い今の仕事がシステム的な仕事で、割と考えないといけないことがあり、自分のペースで仕事中に考えているフリをしながら複業のことを考えたりとか、自分の中でうまく気持ちを切り替えてやっています。二つあるからこそメリハリがついていいところがあると思います。
仕組みづくりが好き、それでシゴトをつくる
三宅:マンガとシステムといったら、全く違う畑のようでそこがよかったりしますか?
R:マンガを読むのが好きでマンガに携わる仕事がしたいのですが、でもマンガを描くとかということではなく、どちらかというと企画とか仕組みづくりが好きだと思うのです。
なので、「ギフトマンガ」という仕組みをつくるのが好きなんですよきっと。この先もおそらく「ギフトマンガ」というものがある程度ひとつ仕組みとして出来上がったら、また次のマンガの企画を考えたりしたいなと思っています。
私はプログラマーではないので、どういうふうにシステムを動かしていくか導入していくのか、今の仕事と絡み合わせてどういうふうにやっていったらみんなが効率よく仕事ができるかということをしています。
直観的に動いてるように見えるかもしれないですが、私の中では結構ロジカル考えているつもりなんです(笑)こういうふうにしたら相手がよろんでくれるかなとか、どうやったら相手が使いやすくなるかなとか、それも仕組みなので、共通点かなと思います。
三宅:それ初耳ですね。
R:あまり言ったことがないかもしれません。
やりたいことが腑に落ちるまで時間が掛かった
三宅:楽しいしメリハリがついて良いとこずくめっぽい複業ですが、そうは言ってもやりながら苦労したこととかあると思いますが?
R:あります。楽しいことばかりではあるのですが、自分の中でできることとできないことがはっきりしていて、それが反対に壁になってもう自分はこの仕事はできないのではないかと思ったことがあります。
具体的に言うとマンガの仕事をしたいけれど、マンガが描けないのにどうやって仕事やっていくんだろうと「ギフトマンガ」というものにたどり着くまでに1年間ぐらい悩みました。
マンガの仕事をしたいけど、マンガが描けないからできないって自分の中で思い込んでいました。じゃあマンガ描ける人と組めばいいやと発想の転換するだけで乗り越えられたのですが、それに気が付くまでに1年間かかったんですね。
イチから自分の中でどういうことをやりたいかということと、こうやったらいいんだと腑に落ちるまで結構大変と思いました。
会社から与えられた環境と自分でシゴトをする環境の違いに気づく
三宅:確かにすごい熟考するところがありますよね。
R:そうですね。自分の中で納得できないと動けないところがあります。
この前、作品を作っていたときに自分の中でハッとしたのですが、会社って当たり前なのですが、仕事がしやすい環境が整っているんです。
机があって、パソコンがあって、コピー機があって、それに慣れてしまっているので、いざ自分がイチからやろうといった時に、コピーどこでするのとか、もっと静かにできる環境はどことか、会社員には仕事できる環境が与えられている当たり前が今回作品を作るにあたって、すごくネックになりすごく新たな気づきでした。
オンラインなら離れていても同じことが共有できる
三宅:会社から与えられている環境が当たり前という話に関連しますが、新型コロナの前と後で何か変わったことはありますか?
R:緊急事態宣言の間はテレワークだったので、いろいろと家で複業の仕事ができたのでありがたいなと思いながらやったりしていましたが、今は全く普通に仕事に行っていますのでそこはあまり恩恵がないなと思っています。
仕事以外ではオンラインが普及したので、イベントがオンラインで参加しやすくなったのでそれはすごいありがたいなと思います。
三宅:結構オンラインで参加しました?
R:しました。今もしています。
三宅:その結果、何か得られたものはありますか?
R:オンラインってすごく便利と思いました。遠くに離れていても同じことが共有できるというのはすごく便利だし、それが一番なのですが、今まで受講したいなと思いながらも距離的な理由で受けれなかったものが受けられるようになったのも大きいです。
人生観が変わり、すべて前向きにとらえられるようになった
三宅:なるほど。まさに進行中だと思いますが、複業をやってきて得たこと、会社員やっていただけだと経験できなかったことなど教えてください。
R:人生観が変わった感じです。いろいろなことに興味が持てるようになりましたし、すべて前向きにとらえられるようになったことです。
FAAや起業家の人がみんな言います。みんな前向きなのですが、なぜかというと、失敗したこともすべて自分の糧になるよというような考え方があるからです。「失敗しても良かったやん」「次のネタになるやん」という感じですごく前向きになります。
自分の中でいろんなことにチャレンジする土台というか、失敗してもマイナスじゃないんだということがわかったことがすごく人生においてプラスになったと感じます。
勇気を出して一歩踏み出すと景色が変わる。二歩、三歩目はハードルが下がる
三宅:人生観が変わった、なるほど。このラジオ放送を聴いていただいている方は、働き方にモヤモヤを感じてこれからどうしたらいいかなみたいな人が多かったりします。
そんな複業的なことを始めていきたいなと思っている人たちに、何かレイチェルさんなりのメッセージがあればお願いします。
R:自分でできるかな、できないかな、やってみたいけどできないなといような葛藤されている方が多いのではないかなと思います。でも一歩踏み出すとぜんぜん景色が変わるので、後悔しないためにも勇気を出して一歩踏み出してほしいと思います。
一歩踏み出すと二歩三歩というのは一歩目よりも確実にハードルが下がっていくし、周りの環境もどんどん変わっていきます。
そうすることによって好循環が生まれますし、もっとやる気も出てきます。最初は怖いと思いますが、勇気を出して最初の一歩を踏み出してほしいです。
頭の中だけではだめ、行動すること
一歩を踏み出すと言っても行動にしないとダメだと思います。頭の中で考えているだけだと空想だけで結局自分の中から一歩も出ていないのです。
怖いし、笑われるかもしれないと周りの目を気にするかもしれないけど、頭で考えているだけだと始まらないので、怖がらずに一歩踏み出してほしいです。
その人だけの新しい物語を紡ぐシゴト
三宅:最後にこれからこんなことを手がけていくよとかPRがあればお願いします。
R:「ギフトマンガ」は今までおそらく誰もやったことないマンガの新しいサービスです。マンガって基本的には誰かの人生を本上で読んで共感するというものだと思います。
「ギフトマンガ」はその人だけの新しい物語を創り出して誰かに渡せるという本当に素敵なサービスと思っていますので、ぜひ応援していただけたらうれしいです。よろしくお願いします。
三宅:ありがとうございました。とてもいいお話がたくさん入っていて有益な時間になりました。今日は忙しいところありがとうございました。
R:ありがとうございました。またどうぞよろしくお願いします。
47歳Aさん|40代後半で3年半複業を実践
上司都合の異動に納得できないのがはじまり
三宅:最初に自己紹介をお願いします。
Aさん(以下敬称略):今、会社でやっている仕事は産業機械のメーカーで品質保証部門で管理業務をしております。これからやろうとしているシゴトは写真を通じてお客様のモチベーションアップや自尊心アップのお手伝いができたらいいなと思っています。
三宅:シゴトの内容としては写真、カメラマンですか?
A:カメラマンです。
三宅:今日は、会社の仕事の傍らでもう一つ自分がやりたいことをやっていく複業というテーマですが、複業を始めようと思ったキッカケはどんなことでしょう?
A:一番大きなキッカケは6年前の異動になります。入社以来ずっと設計部門で一般事務をしていましたが、6年前に突然異動が決まり、今の品質保証部門に行くことになりました。その経緯が全く納得できない、行った先の仕事も面白くないということで自分で始めてみようかなと思いました。
そこに至る経緯はいろいろありますが、異動先の業務がそれまでの私のやってきた仕事と考えると明らかに不適当な仕事だったということです。知識と経験が必要な仕事なのですが、現場部門のことを全く知らない状態だったにも関わらず、上長の個人的な理由で、自分の面倒を見てほしいという秘書的な業務も含まれていたのですが、そこだけのために呼ばれました。
その上長自身もその他に私がすることに全く何も配慮もなく、ただ自分が言いやすい人に来てほしいから来てねみたいな感じで、後から本人から聞いたら軽い気持ちで呼んだと言われました。そんなどうでもいいような上司の軽い気持ちに振り回される立場がすごい納得いかないというか。
サラリーマンはみんなそうですが、いざ自分がその立場になってみたら、もう絶対これは許せないなと思って、何か他に自分にできることがあればしたいということを考えるようになりました。
転職も考えましたが、年齢的に40代半ばだったので正社員はもう難しいと思ったのと、パートで働いたとしても正社員で働くのと給与水準も違うし、収入だけではなく時間的なことも納得いくような生活の質、それを満足にすることはたぶんできないと感じました。
それと、結局パートでも派遣でも正社員でも雇われている限りは絶対何かしら不満は出るだろうなということはわかっていたので、不満をもちながら働くのであれば自分で何かやったほうがいいのかなということで、自分で何かやろうと思った経緯です。
自分がしたいことがわからないまま同じ会社にいた
三宅:異動の話がある前までは正社員でやってらっしゃったわけですが、それまでは自分で何かやろうみたいなことは思っていませんでしたか?
A:自分で何かやろうみたいなところまでは思っていませんでした。短大卒で20歳で就職したのですが、どのように仕事を選んだらいいか全然わからなく、両親も相談に乗るとか、私も相談しなかったのですが、どうしたらいいかなと思っていたところにちょうど叔父から「うちの会社で人をいれるような話があるから、よかったら来てみる?」と言われ、とりあえず軽い気持ちで受けました。
幸か不幸か受かってしまい、就職活動もあまりせず気楽に入りましたが、入ったものの違和感をもち、社風に合わないみたいな感じだったというか、そもそもから会社に納得していないという気持ちはずっとありました。
20代前半と30代前半に2回ぐらい山があり、やはり違う仕事をした方がいいかもしれないということで、転職活動とか活動とかまではいかないまでも、職安に行ってどんな仕事があるのかなと探したことがありました。
結局、その当時何がしたいということが全然自分でも検討がつかないというか、やりたいことがわからないから何を基準に選べばいいかがわからないという状態で、福利厚生とかお給料とかそういうところでしか選べない、そこをみると結局今の会社以上にいい会社はないなと。
今の状態で転職しても同じことと思い断念しました。そのままそれ以降は何か違うなという感じはありながら、今までずっとやってきたという流れです。
三宅:それでやりたいこととして写真というのが出てきたようですが、なぜ写真になったのですか?
A:ひと言でいうと自分ができることで他の人に役立つことは、それしかないなと思いました。他に特技もないし、何か人に貢献できることで自分は何ができるだろうと考えたら自然にそれしかないという結論になりました。
友人からその人らしさが出る写真と言ってもらった
三宅:もともと写真はお好きなんですよね?
A:もともと趣味で写真は撮っていました。本格的ではなく、旅行に行った時に撮るとか紅葉の季節に山に登った時に撮るという程度ですが、その中で友達を撮ったりしていると意外にすごくその人らしい表情になっているものが撮れて、こういうことができるかもしれないと思っていたところに、会社の状況がこうなりこれだったらできるかなというのが始まりです。
帰宅後、空き、移動などこま切れ時間を活用する
三宅:会社の現業をやりながらやっていくとなると、時間がなかなかつくれないということがみんな困るところだったりしますが、朝野さんはどんなふうにしていますか?
A:コロナ対策で勤務時間が30分前倒しになっていて30分早く帰れるので、今はその時間で帰ってすぐフォトショップとイラストレーターの勉強をやっています。また会社ですき間時間や周りに人がいない時を見計らって考えをまとめたり、インターネットで簡単な調べものをしたりしています。
写真の整理とか単純な作業はクラウドに全部データを入れておいて、移動の時間や現場の行き帰りに細切れですが、少しずつやったりして時間をつくるようにしています。
いつまでもここに居たいのと問いかける
三宅:モチベーションがずっと維持しきれるのかというのが複業では課題になりますが、そのあたりはどうですか?
A:モチベーションは正直アップダウンは激しいです。仕事をさせていただいた後は結構気持ちが高揚してイケイケな感じになりますが、仕事と仕事の間が空くとだんだん自信がなくなってきます。そうすると目をそむけてしまうというか手が止まるという感じになってしまいます。
そこでFAAの定例会に参加すると、みなさんのエネルギーとかお話を聞いて自分の気持ちが盛り上がってきます。そこでやる気をもらっているので、定例会に参加することで気持ちを復活させています。
会社を辞める方向で動いてはいますが、会社生活で結構しんどい、うんざり、ぐったり、どんよりとかに行き着くと、ここから抜け出さないとという気持ちが逆に盛り上がってくるというのが皮肉な感じです。会社にいることでモチベーションが消えずに残るというようなところはあります。
三宅:現業の仕事がモチベーション下がるとその分上げるみたいな。
A:「いつまでもここに居たいの?」みたいに自分へ問いかけ、会社に行っていることで火が消えずに済んでいる面もあるのかなと思います。
三宅:現業とのバランスはどのようにとっていますか?という質問をしたかったのですが、そんな感じでバランスを毎日とっている感じですか?
A:そうですね。シーソーみたいな感じです。
三宅:ちなみにどのくらい並行でやっている感じですか?
A:あまり意識したことありませんが、遡ってみると2016年の終わりぐらいなので3年半ぐらいです。
30年ぬくぬく生活してきたのを脱するエネルギーと不安
三宅:3年半やってきて苦労したことはありますか?
A:実際に仕事をする上での苦労というのは複業シゴトがそこまでないので、その面での苦労はありませんが、一番厄介だなと思っているのは気持ちの整理のつけ方です。
いろいろありながらも30年近く、会社自体も安定していていい会社ですが、そういう会社でぬくぬく生活してきているので、いざそれを辞めようというとすごいエネルギーがいるなというのを最近改めて感じています。
周りも会社を辞めようという人はほとんどいませんし、女性も定年まで勤めるというのがスタンダードで結婚や出産しても誰も辞めないという状態です。
みんないろいろありながらもまあまあ満足して働いているという、田舎なので他にいいところがないというのもありますが、このような中で自分はこれをやるから会社辞めますというと、無意識の抵抗というか30年の蓄積みたいなものはすごいなと実感しています。不安が大きいです。
三宅:30年というと結構な蓄積ですよね。
A:すごい蓄積ですね。
三宅:まして周りがそういう環境だったら余計ですよね。
A:だからもう変人ですよね。たぶん会社の中では誰にも理解されないです。
三宅:でも一本でやっていく方向でいらっしゃる?
A:そうですね。一本では難しいので、いろいろできることには手を出してみようかなと思っています。
人間関係の基本は実際に会うこと
三宅:違う話になりますが、新型コロナが入ってくる前と今の状況下で何か変わったことはありますか?
A:人と会う機会というのがすごく貴重なものなのだなと最近感じています。今までは人と会うというのは当たり前で、友達と食事に行ったり飲みに行ったりしていましたが、今はオンラインが主流みたいな感じになっています。
最初はオンラインも楽しいな、実際に会うのとあまり変わらないなと思っていましたが、それが長引くとやはりその場に一緒にいて雰囲気を感じるというか、一緒にいることで共有できる何か雰囲気みたいなものがすごく大きいなというのを感じます。人間関係の基本は実際に会うことと実感しています。
三宅:特に写真のお仕事をされていると、直で接してその場の空気感を感じますよね。
A:言葉にならない表情とか言語じゃないやりとりみたいなものがお互いにあって、そこで無意識のやりとりがあって、化学変化じゃないですが、お互い何か感じながら環境をつくっていくというのが人間関係になっているのかなと思います。
人生を良くしようとする人のエネルギー
三宅:コロナがなかったらそんなこと思ったりしなかったようなことが、改めてわかったというかそんな感じですよね?貴重なお話だと思います。複業を3年半やってきて得たことってどんなことでしょう?
A:今まですごく安定した会社で生活自体は安心して過ごしてきましたが、どうしても納得いかなくて何か自分でやろうと思いFAAに参加していますが、得たことはたくさんあります。
日常で生活している人と違う新しい人たちと接することで、いろいろな人がいるなということがわかり、視点が増え視野も広がります。こういう考え方もあるんだ、こういう道もあるんだといろいろ選択肢があることに気が付きました。
みなさん前向きに人生をよくしようと思って頑張っている方ばかりなので、前向きのエネルギーがその中にいるとか入ってきます。純粋にすごく心地がいいですしモチベーションが上がります。
今の会社は安定していますが、何か惰性とかあきらめとか怠惰のようなどんよりした空気がすごくあり、すごくギャップがあるのが救いみたいな感じにはなりますが、それも気持ちの上での支えみたいな感じですね。
またそこでいろいろな方と出会えることで、何気ない出会いでも後々振り返ってみたら自分にとってすごく大きい出会いだったということがあります。その時は意識できていないかもしれませんが、後になったら人生を変えるような人に出会えたりということもあると思っています。
三宅:この前もトライアルの場があって、何かで知ったらすかさず遠方でありながら現場に出向いて写真を撮るみたいな行動力がすごいですよね。
A:ありがとうございます。写真を人に見せられる人にこういう仕事をしていますというポートフォリオというのがあるのですがまだ少なめです。それを見てもらわないと、じゃあこの人にお願いしようとなかなかなりにくいと思っています。
こういう状況で撮影募集してもなかなか人が集まりにくいというのもありますし、モデルさんを頼もうかと思いましたが、人が見て「わーいいな」というふうにはならないような気がして、どうしようかと思っていたところにたまたまそういう話がありました。もしかしたら混ぜてもらえるかなとダメもとで言ってみましたが、快くOKしてくださってすごくうれしかったです。
三宅:すばらしい行動力です。なかなか思いついてもそこで言おうと思わないですから。
A:これを逃したら次はなかなかないという危機感がありました。送信ボタンを押すのを迷いましたが最後はエイヤーで(笑)
とりあえず取り掛かって自分の気持ちを試してみる
三宅:このラジオを聴いていらっしゃる方は、朝野さんのように今やっている仕事にモヤモヤを抱えて何か一歩踏み出していきたいけど、どこから始めたらいいかなと思っている人が多かったりします。そういう人たちに対して何か自分なりのメッセージがあればお願いできますか?
A:何か不満があってやってみようと思われる方が多いと思いますが、そこでどうしようかなとか自分でも何もできないしとほとんどの人が思われるのではないかと思いますが、とりあえず興味があったらまず取り掛かることを提案したいです。
とりあえずやってみてやっぱり何か違うなと思えばそれでいいですし、今の仕事がいいとなればそれはそれでいいことですし、やっぱり何かできそうだからやってみようと思うかもしれないですし、いずれにしてもそのモヤモヤに結果が出るというのは変わりないので、とりあえず軽い気持ちで重たくならずにやってみたらいいのではないかと思います。
みなさんそうかと思いますが、自分はスキルがあるわけでもないし、すごい才能があるわけではない、そんな自分が起業することはすごく大それたことで、プレッシャーになると思います。
でも別に絶対起業しないといけないというわけではないですし、とりあえず今のこの何とも言えないモヤモヤした気持ちに決着をつけるぐらいな気持ちでいいかと。やってみないとわからないことがあると思います。
軽いと言うとちょっと違うと思いますが、自分の気持ちを試してみるというつもりで始めると最終的には起業するしないに限らず、違う道があるかもしれないですし決着がつくような気がします。あまりプレッシャーを感じずにとりあえずやってみるというのが大事というか一番いい方法なのかなと思います。
三宅:すごく勇気をもらえるメッセージですね。それでは最後にご自身のこれからやっていきたい方向とかPRがあればお願いします。
A:まずいこれからはもっといろいろな方のお仕事の様子を撮らせていただいたりとかプロフィール写真などそういう方向をもっとレベルアップというかさらに品質向上して磨いていきたいなと思っています。ちょっとでも興味があればお仕事をいただけたらうれしいです。
三宅:ありがとうございます。今日はいろいろたのしいお話をありがとうございました。
A:こちらこそありがとうございます。
コミュニティOB 40代男性起業家の3人の成功例|実話インタビューから
次に40代で起業した男性メンバーの事例を3つご紹介します。いずれも僕が彼らと向き合ってインタビューした生の声になっています。
40歳Kさん|デザイン会社社員から個人ものづくり業
物心ついた頃からのものづくり
小さい頃からものづくりが好きだった。粗大ごみを拾ってきて分解して組み立てたり。親にすごいねと言われ人をよろこばすのが好きだった。一方で少年時代は野球一本でやってきた。
でもプロになるには壁がある。工作や絵を描くことは無心になってできる。この道に進もう。18歳のときに決意した。まさかの美大に進学した。美術についての学びを深めていった。大学を卒業してフリーになった。
ご縁があってディズニーランドの仕事をすることになった。当時建設中だったディズニーシーの造形物をチームでつくるというものだった。山、岩、道路、見える景色・・・完成までの3年間、たのしい仕事だった。
組織にいたら自分がやりたいことができない
その後、先輩のツテでディスプレイデザイン会社に就職した。10年経った頃。作りたいもの、やりたいことがあるのに調整しないといけない。部下もできてその管理に時間をとられるようになった。
自分がやりたい作ることができなくなった。組織でやることに限界を感じた。果たしてこれでいいのだろうか?ふつふつを感じるようになった。ちょうどその頃、東日本大震災も起こった。「明日死んだらどうなる?やりたいことをやってるのか?」自問自答した。
果たしてどうしたらいいのか悶々とした日々。気がつくと3年も過ぎていた。形にするにはどうしたらいいのか?考えてばかりで仕事にも身が入らない。これはいかんなと思っていた。
そんなある日「好きなことで起業できる」という本に出会った。「世の中には好きなことを仕事にしている人もいるんだ・・・」読んでみて驚いた。そこでは集まりをやっているようだ。
「まずは行ってみよう」起業へ向けた具体的な初めての行動だった。そこには好きなことを仕事をするために動いている人たちがいた。そんな考え方があるんだ!ものすごく新鮮だった。目の前の視界が開けた感じだった。
思い返すと自分がいる業界以外の人と接点を持ったことがなかった。クリエイティブな世界にいたけどクリエイティブではなかった。これだ!と思った。
期限を決めて行動する
コミュニティに入り1年後には開業届を出そうと決めた。そこへ向かって考えていることをとにかく行動にし始めた。身体を鍛える一環で自転車が好きだった。
趣味の世界がシゴトになるのか?自転車をつくって売ったらどうなるのか?自転車をつくることはできる。いかにオリジナリティを出していけるか?古物商の資格を取り、車やバイクのカスタムメーカーのホームページを参考にしながら見よう見まねで独自の世界観を発信してみた。
サイクリングでお客さまと一緒に走るシゴトも考えた。サイクリングリーダーという資格を取り、ひと通りの勉強をした。協会が主催するイベントにも参加して感触をつかんだ。ものづくりは工房がないと前に進まない。
そんな矢先、都心に工房がオープンすることを知りすぐ契約した。作りたいものがいっぱいあった。まずは試しに作ってみること。溜めていたものを片っ端から作っていった。
1年後、サラリーマンをしながら開業届を提出した。当時はデザイン業、自転車販売業というカテゴリーだった。サラリーマンとやりたいシゴトのダブルワークが始まった。
昼間は正社員として会社勤め、夜は工房に行ってひたすらものづくり。週末は自転車を作りながら修理を受け付ける。この頃、ものづくりは売ることより機材をマスターし、作ることを習得する修行が目的だった。
毎日その繰り返しだった。開業届を出したら1年で会社を辞めると決めていた。やると決めたら突っ走る。やらなきゃいけない。必死のパッチだった。次第に家族との会話もなくなっていった。しゃべりかけられない雰囲気を出していたのだと思う。
さらに1年後39歳のとき退職届を出した。すぐには食べていけないので先輩のご厚意もあり外部委託ということで会社の下請け作業をさせてもらった。一方で自分の本筋を進めていった。サラリーマン時代には程遠い収入、貯金を切り崩しながら何とかやりくりした。
家族の理解を得ることの難しさ
一方で、家族から理解を得るには大変な思いをした。開業届を出したとき1年間働きながらやるからと伝えた。どうせあきらめるだろうと思っていただろう。退職届を出すときにはものすごい反対があった。
やりたい気持ちを伝えるために遺言書まで書いた。そんなことではないと目の前で破り捨てられた。このままいくと家族仲も悪くなる。どうなることかと不安だった。でもやりたい気持ちはおさまらなかった。
妻は納得はしていないけど勢いに押されて受け止めてくれた。妻の両親にも話に行った。何の実績もないのにどうするつもりだ!全力で反対された。でもやりますとそれを超える情熱で言った。これをやらないと家族をしあわせにできないと思ったからだ。
駆け出しの頃には失敗談もある。最初の頃は声を掛けてもらったら全てやりますと応えていた。そんな中、相手の期待するところまでのクオリティに達することができず問題を起こした。
結局別の会社でやり直しになり、その分の費用負担をすることになってしまった。できないことはできないとお客さまとはある程度のライン引きをしないといけないことを学んだ。
苦手な営業へ取り組む
2年目に入ると少しずつ形になっていった。いくらモノを作っても知ってもらわないと前に進まない。交流会や商工会など、作品を持っていろんなところへ出向いていった。
元来の話し下手、営業にはものすごく苦手意識があったが、そんなことを言っていられないと勇気を振り絞った。行った先で違う業界の人が興味をもってくれる。通っているうちにだんだんとつながりができていった。
人と話すことで発想が広がった。すると面白いもので人と話すのが好きになった。どんどん外へ出ていくようになった。
商工会の交流会で名刺交換をした人が趣味で将棋を習っていた。その人が通う教室の先生が「作りたいものがあるけどどうしたらいいんだろうと言っていた。一度話してみる?」と紹介してくれた。
そのときのご縁で先生は常得意になっていただき、以降2年のお付き合いになっている。天職塾メンバーからも紹介をもらっている。メンバーのつながりは商売に跳ね返ってきている。
資金面では苦労した。ただそれは言ってもしょうがないこと。あらゆることを考えてやってきた。バイトならすぐできる。でもその都度バイトなんてやりたいの?と自問自答しやらずにきた。
不足分は自転車の修理でカバーした。やりたくないことはやらないと決めていた。そのために起業したのだから。もう一つが健康管理だ。起業するとサラリーマンとは時間管理が大きく変わる。
サラリーマンは働く時間が決まっている。起業すると自分がやるだけ。ついついやり過ぎたり無茶をしたりリズムを崩してしまうことが多かった。
実績を積み上げ大手へアプローチ
3年目になると、いろんなところからつながって将棋教室の先生のようなお客さまが増えていった。一方で起業以来ずっと地道に継続してきた自主開催の工作教室がある。
地域にチラシを配ったり、バスに掲載してもらったり、市役所に話を持ち込んだりいろいろやってきた。一度にではないが少しずつ増えていっている。BtoBへの展開を狙っていた。
それなりの実績ができたのをもとに大手ショッピングセンターのカルチャークラブにメールで飛び込み営業をかけた。すると「今までなかった分野なので興味がある」と担当者から連絡があった。すぐに契約になり、子供向け工作教室と大人向けDIY教室を複数会場でやらせてもらっている。
ほとんどのお客さまが紹介やつながりでできている。あまりたくさんの集客をする考えはもっていない。ご縁があってお会いしたらつながってちゃんと対応する。一つの関係ができたら情熱をもって取り組む姿勢を大事にしている。おかげさまで今はシゴトがいっぱいの状態になっている。本当にありがたいことだ。
作り手の思いを貫く
サラリーマン時代は作ったもののお客さまからの反応がなく、それがどうなっているのかがわからなかった。今は直にお客さまからありがとうと言っていただける。人間と人間がつながる行動がしたかった。
サラリーマン時代はお客さまとのキャッチボールがなかった。言われたものをそのまま作って右から左へ流すような請負的な仕事はしたくない。お客さまのニーズにちょっとプラスアルファしてよろこんでもらいたい。
目の前に現物ができる。何かの1パーツや一部分だけ作るのではなく、企画から製造まで一貫してやりたい。造形にこだわる理由だ。
最近交通事故に遭った。幸い大事に至らなかったが下手したら死んでいた。人間、いつ何時何が起こるかわからない。やり残したことがないように一日一日をしっかりとやっていくこと。そのことを強く思うようになった。
治療期間に担当医と接してその使命感を知りガツンときた。自分には何に対してどれだけの使命感があるのだろう?これからも考えて続けていきたい。
一番大事にしたいのは「ヒューマンファースト」。人間対人間のものづくりだ。今後はみんなの想いを形にするようなフィールドづくり、DIY生活を後押しできるような場所としてのスタジオやファクトリーをつくっていきたい。
起業はゼロからイチをつくること、真っ白なキャンパスに一筆入れるようなもの。その一筆が絵に仕上がっていく。起業は作品。これから起業を志す人には、ぜひ自分なりの良い絵を描いていってほしいと思う。
起業して良かったこと
何はさておき家族との絆づくりが一番だろう。妻との会話、子供たちと接する時間が増えたことだ。おかげさまで家族とはすごく良好な関係になった。
起業を考え出したら、しのごの言わずに突っ走ることが必要になる場面がある。でも一方で支えてくれる家族を大切にすること。上の子の入学式に出られないことがあった。今でも後悔している。そういうときには何より最優先しないといけない。
子供たちとの時間は二度と戻ってこない。家族との関係で自ずと道は拓けてくる。これまでを振り返って強く思うことだ。妻の「良くなったね。毎日たのしそうだし」という言葉はモチベーションになっている。
もう一つが自分の時間を自分でコントロールできること。晴れたら自転車で走ったりマラソンができる。何気ないことかもしれない。でも自由を得るとはこういうことだと実感している。
44歳Hさん|新聞記者からカメラマン×ライター×インタビュアー
職場の人間関係から逃げ出したい
新聞記者を8年やっていた。もともと書くのが好きだったのと、学生時代に文章をほめられた経験がありこの道に進んだ。最初のうちは世の中で見たり聞いたりしたことが活字になるありがたい仕事だった。
この業界には明るいニュースと明るくないニュースがある。どちらかといえば明るくないニュースがクローズアップされる傾向にある。日々明るくないことにふれているうちに、社会的使命を感じつつも、だんだんたのしくない自分に気づくようになった。
そんなふうに感じている一方で、仲が悪い上司の橋渡し役をさせられていた。面倒くさいなあと感じていたある日、暴力沙汰になる寸前の事件が起こった。たのしくないし毎日をビクビクしながら仕事するのはイヤだった。
この事件を契機に会社を辞めようと決めた。転職しようとも思ったが、同じ業界だと明るくないニュースと接することに変わりはない。何か別のことができないかと考えていた。
転職しても同じこと、何か別のことがしたい
旅行が好きで書くことが好き。じゃあその二つを掛け合わせてトラベルライターみたいな仕事ができないかと考えた。そういうジャンルで仕事をしている人にはどんな人がいるのかネットで探してみた。
するとやっている人が見つかった。その人が主催している会があったので参加してみることにした。ある日のこと、その会にたまたま三宅さんがゲストとしてやって来た。
転職ではなく自分が好きなことを仕事する選択肢もあるのかもしれない。そのとき初めて気づいた。それまでは独立起業なんて特別な才能をもった一部の人しかできないことだと思い込んでいた。とりあえず話を聴いてみようと働き方モヤモヤ相談に行ってみた。
好きなことをシゴトに変えている人たちがいることを知り、コミュニティに通い始めた。通いながら自分でも起業ができるのではないかと思うようになった。
起業へのステップややり方を学んだ。サラリーマンを続けながら活動していたが、上司のいさかい事件が勃発したことが決定打になって会社を辞めた。退職した2ヶ月後に開業届を提出した。
勢いで会社を辞める
本来、収入や蓄えにそれなりの準備をして始めるのがいいはず。でももう我慢できない事情で勢いで辞めてしまった。収入がゼロからのスタートになってしまった。
当面とにかく食べていかないといけない。スーパー銭湯と飲食店近隣でアルバイトを3つ掛け持ちした。その一方で異業種交流会や商工会議所の集まりに顔を出し始めた。でも仕事がほしい人同士が集まる場でのつながりは薄かった。
この頃は、朝から昼過ぎから夕方までバイト。空いた時間に交流会へ参加するような毎日だった。少しずつ仕事が出始め、バイトから本業へシフトしていった。
バイト先でも人のつながりができていて、飲食コーナーの写真撮影やバイト仲間のプロフィール写真撮影をさせてもらうようになった。どんなところでも自分がやっていることを口に出した方がいいという教えを実感した。
試行錯誤の中からシゴトがつながるながれを会得する
起業して1、2年は迷走しながら試行錯誤を重ねた。何でも依頼があればやりますという感じだった。あるときを境に仕事が少しずつ入ってくるようになった。チャンスをもらったものには一生懸命取り組んだ。
するとその人が別の人を紹介してくれた。単発のものもあったが、継続的に仕事をいただける人が出てくるようになった。仕事がもらえるようになるながれができるまでは大変だった。
自分なりの工夫もした。初対面で名刺交換をした後、この人とは相性が合うとかもう一度会いたいと思った人には手書きのお礼状を書いていた。
決まりきった文言ではなく、その人と会ってどんな話をしたのか、何がうれしかったのかを一人ひとりへ向けて書いた。
すると「こんな手書きのものをもらったことなんてないです」と相手に驚かれることもあった。それですぐに仕事になったわけではないが、お礼状を書いた人が今もつながっていると思う。
この人と仕事がしたいという人としか仕事をしないのが自分のスタンス。自分と同じような考えで気が合った人がつながっているような気がする。
また撮影させてもらった人や一緒に仕事をした人の写真をSNSに投稿した。この人はこんな人、ここが素晴らしいというような内容を書いた。仕事がほしいからアップしたのではなく、単純にうれしい気持ちや感謝の気持ちを表したかったということでしかない。
保育園で撮影をしたとき。園長先生に「僕でいいんですか?」ときいたことがある。すると「Hさんはとにかく園児からのウケが良くて・・・またあのカメラマンさん来ないの?とみんな言ってますよ」とうれしい言葉をいただいた。
講演の撮影をしたとき。講演者は初めて何百人もの前に立って緊張していた。終わった後、「講演中うろちょろしているHさんの顔や姿が見えたので安心して話せましたよ」と言っていただいた。
保育園では自分も子供と一緒にいることをたのしんでいること、講演者とはそれまでプロフィール写真を撮ったりして関係性ができていたことがあったのかもしれない。
写真が評価されているとは思っていない。カメラマンは誰でもいい。そんな中、もしかしたら安心感を与えることができているのが評価されているのかもしれない。
なかなか軌道に乗らず落ち込むときもあった。そんな時、マイナスの影響が出るのならと成功している人のことは見ないようにした。
そのことがいやな感情や嫉妬になったり、まして悪口を言うようになったら最悪になるからだ。自分のことがちゃんと自立してできるようになるまでの間、情報を遮断してみるのもいいかもしれない。
シゴトはキーマンとのご縁で生まれる
保育園や幼稚園での撮影の仕事は、コミュニティメンバーから案件紹介の会社を教えてもらったのが事のはじまりだ。また以前所属していたコミュニティのクラスメイトがスクール事業の先生をやっていて、フラットな人柄に共感してくれたのかオファーをくれるようになった。
連載記事ライティングの仕事は、知り合い経由で紹介してもらった担当者が多忙になったので誰かに頼みたいというところから始まった。別の書く仕事はビジネス目的でなく参加したイベントで、プロフィールに共感してくれた主催者からオファーをいただくようになった。
このようにすべて仕事の発端にはキーマンが存在している。キーマンからのつながり、ご縁で仕事が生まれている。恥ずかしながら自分一人で一生懸命仕事を開拓した経験はない。
自分スタイルを確立する
3年目、4年目になり、仕事の量も増えていった。そんなに気張ってやらなくても、依頼のあったことをちゃんとやれば少しずつだけど次につながる。
自分のスタイルも見えてきた。何となくこういうやり方でいいんだとわかるようになった。起業して1、2年は「あの人がテレビに出た」「本を出版した」といったものを見ると自分はこれでいいのかなと感じた。
周囲のことが気になって他人と比べてばかりいた。今は自分のスタイルを確立しつつあるので他人と比べることがなくなった。自分に満足して余裕が出てきたからだと思う。
ずっとうまくいき続けるわけでもない。うまくいかないときも自分は自分と受け止めて進めるようになった。これまでの4年間で学んだことと言える。
余談になるが、実はスーパー銭湯のアルバイトは週1回続けている。なぜかというと本業で会う人たちだけだと偏りが出てくるから。そして何より原点に戻れる場所を確保しておきたい気持ちがあるから。起業家としては邪道かもしれないがこれが自分なりのやり方と思っている。
基本は紹介とリピートでシゴトがまわっている。おかげさまでたくさんの依頼をいただき、一人でやるにはさばききれないほどになっている。その裏には常々「心地良い範囲」で仕事をすることを大事にしている背景がある。
それを超えるとストレスが掛かるしたのしくなくなるからだ。こんなさじ加減ができるのか個人事業主のよいところ。家族がいて子供がいてという人だとそうはいかない。自分一人が食べていければいいから成り立っている。
星の数から選んでもらうために実践していること
ライターやカメラマンは資格も必要ないので誰でもなれるし、世の中に星の数ほどいる。そんな中から選んでもらえるのはとても有難いことだ。そのために意識していることは二つある。
まず仕事を受けたらちゃんとやること。納期を守る、求められている以上のことをやる、自分に仕事をふって良かったなと思ってもらう。当たり前のことかもしれない。
もう一つが相手にも自分にも心地よい時間をつくることだ。著名なすごいカメラマンだったら緊張するし構えてしまう。ピリピリした空気より和やかでたのしい空気の方が良い仕事ができると思っている。
自分も相手もたのしくなかったら意味がない。一生懸命勉強して必死で営業して今の地位を得たとかそういうことではない。何となくながれに沿っていたら今に至った。ほんとラッキーでしかない。
サラリーマン時代は月曜から金曜まで仕事、休みはあるけどまた次の週が始まる。何かいつも追われている感じがあった。走り続けているけど、走りたいコースを自分のペースで走れているわけではなかった。
決められたコースを走りなさい、でないと死んじゃうよと言われているようだった。今は走るコースもペースも誰と走るかもすべて自分次第。それが心地よく働けるということにつながっている。
起業当初はもちろん仕事も選べないところからスタートしたが、今は選べる段階まできた。ながれの中で到達したように感じる。もちろん食えないときもあった。
そんなときでもサラリーマンに戻りたいと思ったことは一度もない。なぜなら戻ってもたのしくないのがわかっているから。会社や仕事内容が変わっても会社に勤めるという働き方自体がたのしくないことを複数の会社で経験してわかっている。
ラフな自分、ストレスフリーでいたい
仕事はやりたいことしかやらない。やりたくないなと思ったらやらない。やりたいかやりたくないかは仕事の内容もさることながら、言い方は良くないが、だれからの依頼、だれと一緒にやるのか人をみて決めている。
初対面やメールのやりとりで自分と波長が合うか合わないか。シゴトをやり始めた頃、お金になりそうだけどこの人はクセがありそうだなと思って受けたら、アクシデントやトラブルにつながった経験が複数あった。
自分がイヤな思いをするし相手もイヤな思いをする。結果お互いにとって望ましくないことになる。それ以来、相手のことをちゃんとみることを心がけるようになった。SNSもキラキラした自分を出すより普通に思ったことを書いている。そうしないと本当の自分にとの間にギャップが出て疲れてしまうからだ。
起業したら自分のことをどんどんPRして有名になることが大切と思っていた。もちろんPRすることは仕事を生み出すために必要なことかもしれない。でも自分は逆の考えで、常に裏方でありたいと思っている。
自分が心地よい範囲であればいい。良くも悪くも自己顕示欲が強くない。自分が成功したとかがんばるとかを出し過ぎるとそれだけアンチの人も出てくる。それが嫉妬や嫌がらせにまでになると最悪だ。
「ぜひHさんにお願いしたい!」ではなく、「試しにやってみて」程度であまり期待されていないところでやらせてもらう。そして「それなりにできるじゃん」と言われるくらいのポジションの方がちょうどいい。
写真や執筆でたまたまスタートした。やり始めは安定継続してできるなんて思ってもいなかった。そこで出会う人がいい人なのでたのしいと思った。
もし写真や書くことでなく絵を描くことだったとしても出会う人が良かったらそれで満足したのかもしれない。きっと人の役に立っていることがダイレクトにわかること、存在意義を感じることにたのしさを感じるのだと思う。
まず自分をしあわせにすること。何となくそれができつつある。今後は人のため、社会のためということが考えられるようになれたらいいなと思っている。
自分が溺れていては他人を救うことはできない。まず自分がちゃんと泳げるようになることだと思っている。今後は、一般的に言われるようなこの年にこうしたいといった展望はない。
とにかく「ながれに身を任す」でいきたい。その時その時で必ず必要なことが起こると思って生きている。「なるようになる」と思っている。相手に求められることでなおかつ自分がたのしいと思うことをやる。それしかない。
自分が何をやったらたのしいかを再確認する。やり始めたら仕事を受ける受けないの線引きをする。自分を定義づける。そのことが自分スタイルを確立することにつながる。
人生は時間でできていて有限だ。迷っている暇があったら何かやった方がいい。とにかく「決めて動く」それしかない。独立するはしないかもどちらかを早めに決めた方がいい。迷っているんだったらやる。
決められないんだったらやらない。そうしないと自分も周囲も振り回すことになってしあわせにはなれないと思う。これから起業を志す人への一助になれば幸いだ。
起業してよかったこと
自由になったことと自分にも他人にもやさしくなれたこと。サラリーマン時代は自己肯定感も低かった。常に今の自分はだめ、今のままではだめと思っていた。
周りの人もあまり好きになれなかった。自分が好きじゃないから相手も好きじゃない。そんな感じになっていたと思う。でも今は、だめなところもたくさんあるけど、良いところもあるからこれでいいやと思えるようになった。
強制される毎日から解放されて何でも自分で決められるようになったのが大きいのかもしれない。サラリーマン時代はいろんなことに縛られていた。
有休一日取るだけでも上司にこう言われたらこう答えようとシミュレーションしたり、1ヶ月くらい前からドキドキおどおどしていた。今考えると一日有休取るなんてなんてことでもないことなのだが。本当にストレスだらけだった。
46歳Cさん|会社員からカメラマンへ
写真との出会い
カメラをいじりはじめたのは小学校の頃だった。父親のカメラを借りてスーパーカーや電車の写真を撮っていた。中学生になって写真部の部長をしていた友だちから「写真部に入るんだったら僕のカメラをあげるよ」のひと言につられ入部した。
卒業アルバム委員をやったり同級生を撮ってあげたりしていた。高校でも写真部に所属した。特に飛行機や戦闘機が好きだった。高校3年のときアルバイトしてオリンパスのフィルムカメラを買った。自分でお金を出して買った初めてのカメラは今も現役でとても思い入れがある。
大学に進んでからも写真部に入ったが、目的や雰囲気になじめず1年くらいでやめた。在学中は海外へ行っては写真を撮っていた。
「職業写真家なんてそんな生やさしいものじゃない。写真で食べていくなんて思うな」写真部の顧問に言われていた。その頃、写真は単なる趣味でしかなく、生計を立てるものなんてことは全く考えてもいなかった。
社会人になった。自動車部品メーカーで人事、生産管理、新規顧客開拓の営業を経験した。社内でも「C君は写真が上手いね」と言われ、自分が撮影した写真を展示パネルやディスプレイにしてもらったりしていた。子供の頃から飛行機が好きだったこともあり、航空ショーがあれば全国へ足を運んでいた。
人生を変える闘病生活
30代半ばに結婚した後、健康診断で胆石が見つかり手術をした。半年後、術後のフォローで脾臓が腫れている症状が出て再び手術をした。
その後の生検で医師から「明日家族を呼べますか?」と言われた。がんとの診断だった。別の大きな専門病院で再度調べたところ、がんではないとの結果が出た。今まで色がなかった景色に色がついた感じがしたのを覚えている。
ほっとして職場復帰した。1年半経ったあたりで身体に異変を感じるようになった。CTを撮ると全身にがんが広がっていた。ステージIV Bのきびしい状態だった。40歳のときだった。病状はますます悪化した。
40度以上の発熱、意識がもうろうとする日が続いた。このままではもたない。即治療ということで抗がん剤投与が始まった。かなりきつい薬だった。効きすぎて全身がけいれんを起こす。ナースコールすら押せず危機に陥ったこともあった。
入退院を繰り返しながらの治療が続いた。食べるものにも制約があった。ある日どうしてもお寿司が食べたいと思い、少しだけならということで病院の帰りに妻と二人で回転寿司に入った。そこで食べた中とろは人生で一番美味しかったことを今でも記憶している。
強い抗がん剤のため最高8回までしか打つことはできなかった。「限界まで打って、がんを叩いた状態で骨髄移植をしましょう」と医者に言われた。それからいつやるかをフォローされた。
骨髄移植にはたくさんのリスクが伴う。そのことが気になっていた。いろいろ考えた末、やらない決意をした。自分の命は自分で決めようと思った。決断に医者は驚いていた。
写心の原点になる衝撃体験
父親の友人が自然療法でがんを治した話を聞いた。福島県の三春にあるラジウム温泉療法だった。まずは一度行ってみた。抗がん剤を投与してしばらくすると全身が痛くなるのだが、温泉浴をしたら身体の痛みがなくなった。
ここへかけてみようと思った。初めて宿泊で行った。夕暮れ近くたまたま外に出たときぼわーっと大きな虹が出た。「あー、虹が出てる」持っていたコンパクトデジカメで思わず撮影した。
同部屋の人に虹の写真を見せた。写真を見る人の表情がわーっと笑顔になっていった。ものすごく良い表情だった。うれしかった。「こんな大きな虹が出るって何かいいことあるかもね」「縁起がいいよね」みんな口々に言った。
生涯忘れられない瞬間になった。その後も写真を入れたハガキをみんなに渡した。ものすごくよろこんでくれた。自分がやったことで人が元気になる、それで生き永らえることができるのなら。こんなに素晴らしいことはない。
そのときは漠然と感じていた。三春に通う日々が続いた。多いときは月の半分は行っていた。地元の人とのご縁ができていった。病院で診断を受けた。「落ち着いてますね。良かったです」と言いながら医師は何で?という表情をしていた。レアケースのようだった。
休職期間が切れる前に職場復帰した。42歳になっていた。会社の配慮もあり同じ部署で同じお客さまを担当させてもらった。再発が怖いので5年は様子をみようと思っていた。
あの日一枚の写真でみんなが笑顔になってくれたことが忘れらなかった。写真で何かしたい、5年をメドにして今と違うことで生きていきたいと思うようになった。
写真を使って何かするには基本を習得しないといけない。会社が終わった後、専門学校に通うようになった。そんなある日、週末起業の本を読み、そこで行われるセミナーに申し込んだ。
講師に立ったのが三宅さんだった。会社はリストラ風が吹きみんな元気がなかった。このままいくにしても何か行動を起こした方がいい。「5年が過ぎて命が永らえるのなら何かしなさい」ということだと受け止めた。
個別相談に申し込みコミュニティに参加した。そこには会社とは真逆で、目を輝かして生き生きと話している人たちがいた。衝撃を受けた。
何度か参加しながらのある日。電車の中で「みんなに黙ってましたがカミングアウトします。僕は刑事です。来月公務員を辞めます」といった仲間からのメッセージが飛んできた。
「公務員でも辞めちゃうんだ!何だこれ~!」驚きを感じたことを覚えている。活動を始めて1年経った頃、妻に起業の話をした。「いろいろやってきたんだし、好きにやった方がいいよ」後押ししてくれた。
両親に「来年で5年過ぎるから会社を辞める方向で動きたい」と伝えにいった。「どうするの?」「やっていけるのか?」当然のように言われたが納得してくれた。
ハイブリッドで経験値を積む
スタートするまでの1年はハイブリッドで活動した。FAAメンバーの写真撮影、仲間が立ち上げた団体の理事、紹介してもらった先でコンサートの撮影、イベントの撮影など少しずつシゴトを始めていった。
SNSに投稿した写真を見て自分の会社の写真を撮ってほしいといううれしいオファーもいただいた。この間はとにかく経験値を積むことに注力した。
46歳で本格起業した。最初はよくわからないので誘われるところへ行っていた。人づてで少しずつ仕事をつくっていった。
「私に応援できることがあったら言ってね」「写真の撮り方を教えることはできないの?」ご縁のあった人に有難い声をかけていただいた。そうした人と一緒にイベントを企画開催し、広がりも出ていった。
振り返ると自分から営業したことはほとんどない。周りの人から「こういうのがあるけどお願いできますか?」「この写真だれに撮ってもらったの?」と言ってもらうケースが大半だ。
「そういえばCさん写真撮ってたよね」と雑談から始まることも多い。もし紹介をいただいたら100%は当たり前、それ以上の150%を目指して現場に入る。紹介してくれた人の顔をつぶしてはいけない。このことはとにかく大事にしている。
もちろん収入に困った時もある。バイトをした方が早いという時もあった。派遣登録カメラマンといった仕事もあった。でもやらなかった。
やってしまうとどっちが本業かわからなくなるし、その場にずっと留まることになる。そもそも何のためにこの道を選んだのかということになる。自分の世界観をわかってもらえる人、ファンをつくりたかった。そうしないと生き残ってもいけないと思ってきた。
スタートして感じることはとにかく1年が過ぎるのが早いことだ。1年目は前の年の3倍、今は5倍という感じで瞬く間に過ぎていった。シゴトへの姿勢として大切にしていることがある。
何か依頼をもらったら、できるだけ早く最低でも24時間以内に返事をすることにしている。そうすることで相手は安心する。返事がなかったら「どうなっちゃってんだろう・・・」と不安になる。そして別のところへ仕事はながれていってしまう。
もう一つは自分のためにではなく相手のために写真を撮ることを心がけたい。自分が儲けなきゃで入ると続かないと思う。相手のためにやっていることがやがて自分に巡ってくると思っている。
自然発生的に紹介してもらえる関係づくり
写真はスマホの性能も含めハードが良くなっている分、参入者が多いレッドオーシャンの業界だ。この世界には賞をとっても仕事がないんだよという人がいっぱいいたりする。
「よくやっていけるねー」と言われることもある。写真が上手いだけではだめ。お客さまからどうやって選んでもらうのか。まず写真の技術は大前提。そしてこの人に頼んで一緒にやって良かったねと思ってもらえるようになることが大切。
先日、公園を撮影するシゴトをした。「こうした方がいいんじゃないですか?」いろいろと提案をした。結果、またお願いしたいとリピートで依頼をもらった。「こないだモンゴル行ってきたんで」とおみやげのチョコレートをいただいた。
「この人の仕事がしたい」と思ってもらえるようになること。「この人を紹介したい」と自然発生的に言ってもらえるようになること。いつも目標にしていることだ。
毎日いろんなところへ行って話をしながら写真を撮るのはたのしい。でも身体ひとつでやることに限界も感じている。自分が動いてなんぼだけでなく、仕組みづくりを考えていかないといけない。まだまだ課題はたくさんある。
写す心と書く「写心」で人々をしあわせにする初志はずっと変わらない。見る・撮る・語らうの3つのコンセプトを大切にしたい。自分の思い出の写真を持ち寄って会話をし合うフォトシェアリング会を創業以来継続している。
こんなふうに写真を思う世界を広めていきたい。写真家は専門家のジャンルで別世界という一面がある。そうではなく普通の人が写真をもっとたのしめる世の中をつくる。この世界でやりたいと共感してくれる人がいたら全力で後押しをしていきたい。
起業してよかったこと
ずっと会社員でいるつもりだった。そうしたら今いる人たちとは会えていなかった。こうしていろんな人に出会えることをしあわせに思う。
サラリーマン時代の同僚に会っても「若くなったね」「たのしそうだね」「ぜんぜん前とちがうよね」と言われる。もう一つがイヤなストレスがないこと。作業があって夜遅くなったとしても自分で選んでやっていること。他人からやらされている仕事はない。
売上のアップダウンも自分次第。自分がやったことが今の自分をつくる。だから潔くいける。おかげさまで心が満たされて充実した毎日を過ごしている。
失敗しないための40代起業のポイント
ポイント1:いきなり会社を辞めずに複業する
「組織ではやっていけない。だから自分の力で人生を切り拓きたい」40代で起業を志す、すばらしい思いです。でもちょっと待ってください。いきなり起業なんて無謀なことを絶対してはいけません。
支えるものが多い立場である以上、家族を路頭に迷わすわけにはいきません。どんなことがあっても固定収入を確保しないといけません。
じゃあどうすればいいか?まずはサラリーマンを続けながら複業を始めていきます。サラリーマンと自分のシゴトづくりが並行するので「ハイブリッドキャリア」と呼んでいます。会社を辞めないので収入不安はありません。リスクゼロです。
一方でハードルになることもあります。それは複業活動をする時間です。そうでなくても忙しく毎日を送っている中、新たなことをするための時間をつくらないといけません。複業を始めた多くの人がぶつかるカベです。
時間捻出は今使っている時間の棚卸しから始めます。平均的な一日を細かく振り返って書き出します。一日をどんなふうに使っているかがわかります。
時間がない、時間がないと思っていても同じようなことに掛かっていたり、ボーっとテレビをみていたり。いろいろとスキマ時間があります。
あとはそうしたムダな時間、スキマ時間を有効に使うよう意識していきます。それに合わせこれまで漫然と会社に通って過ごしてきた自分を振り返ります。つまり時間の問題は本人のやる気次第でどうにでもなるということです。
もし今の状態で全く時間ができないのなら、自分の時間が捻出できる部署へ異動することも視野に入れることもありです。仕事としてはやりがいがなくなるかもしれません。不本意でしょう。でもこれから自分の人生を切り拓くのが先決です。会社での立場にこだわる自分を捨ててください。
ポイント2:家族の理解を得る
「起業するなんて家族に言ったら大反対されるかも・・・」大きな心配事だと思います。会社を辞めて収入がなくなったらたちまちどうやって生活していったらいいの?家族が一番に感じる大きな不安です。だからいきなり起業なんて言い出してはいけません。
まずは複業です。将来が見えない今、いつでも自分の力で立てるように準備をしていきたいと家族と共有します。会社を辞めるわけではないので収入不安はありません。「自分として家族とこんな将来をつくっていきたい」しっかりとした考え方を伝えれば理解してくれるはずです。
活動を始めたら、一生懸命やっている姿を見せていってください。メンバーの中に自分で始めたいと言ってなかなか奥さんの理解が得られず苦労してきた人がいます。
彼は毎日欠かすことなくブログを書き続けてきました。そして土日を利用してセミナーを主催したりしていました。そんな様子を奥さんは見ていました。
ある日「そこまで一生懸命なんだからしょうがないわね・・・」そう言って応援する立場に変わっていきました。口だけで言っていてもだめです。やりたいという気持ちを具体的行動に変えてください。
家族はあなたの毎日を見ています。必死になる、かけがいのない人を無視する家族なんていません。
最後にコツをひとつ。「説得でなく理解してもらうこと」に意識を置くことです。仕事に対する価値観の違うパートナーを説得しようとすること自体に無理があります。
少しずつ理解をしてもらうこと。一度にわかってもらおうなんて思ってはいけません。家族には「最大の協力者」になってもらうことを目標にしましょう。
ポイント3:頭の中だけでなく実際に動く
シゴトづくりで一番大切なことは複業中に「お客さまを集める仕組みをつくる」ことです。事業計画書を書くことでも会社設立の仕方を覚えることでもありません。「稼ぐ基盤」をつくらないことには何も始まりません。サラリーマン時代はこの本当の意味がわからないんですね。
「起業には知識が必要だ」そう思い込んでいます。結果、事業計画書や起業手続きのやり方セミナーのようなものにばかり行ってしまいがちです。もちろん、事業計画、法人設立、資金調達といった知識が不要ということではありません。その段階に来れば学ぶべきです。
それよりも最優先すべきことが「お客さまを集める」ということなのです。お客さま不在のビジネスは成立しません。お客さまの基盤になる「ファン」づくりをサラリーマンをやりながら集めていきます。
お客さまを集めるプロセスで、だんだんとあなたのブランディングも出来ています。起こす行動は情報発信です。
ポイント4:起業を目指すなら期限を決める
複業の先に起業を目指したいのなら、いつ起業スタートするのか「期限を決める」ことです。期限は「202*年*月」といった具体的日付を決めるのがコツです。
期限を決めると自然にカウントダウンが始まります。「あと何ヶ月」というのが大事です。締め切り効果というのを知っていますか?締め切りがあると俄然集中力が増すというものです。
サラリーマンをしながらの複業はお金の面ではリスクゼロです。収入不安がないのが大きなメリットです。でも一方でデメリットがあります。いつまでも複業状態でズルズルしてしまうことです。
サラリーマンをしながらの複業は思う以上に自己コントロールが必要です。自己コントロールができる人だけが成功する世界です。そのためには期限を決めることが必須です。
「会社がいやだ、いやだ・・・」と思いながら気がついたら3年、5年が過ぎていた・・・こんなケースをたくさん目にしてきました。一番避けたいケースです。「期限を決めて行動を起こす」本気で現状を打破したいのなら必ず励行してください。
40代起業のアイディアの見つけ方
さあ起業へ向け進んでいくぞ!と思っても「いったい自分に何ができるんだろう?」と感じます。ビジネスには専門性が必要というけど自分の専門って何なんだ?これまで一つの業界にしかいなかったから知識があるのはその分野だけ。
詳しい知識なんて他にはないし。今から勉強なんて現実的じゃないし。やっぱり今の仕事の延長線上でやることになるのかな・・・そんなふうに考えがちです。
でもちょっと待ってください。今の仕事に満足しているのならその仕事を会社員として続けていってもいいのではないですか?そもそも今の仕事に納得感ややりがいを感じないから自分でやりたいと考え始めたのではないですか?
であれば今の仕事の延長線上という選択肢はないはずです。アイディア発想の前にスタートラインを確認してください。
ビジネスになるかと考えるのを排除する
「こんなので仕事になるのかなあ?」「お客さまがお金を払ってくれるのかなあ?」アイディア出しを始めると誰もが考えてしまうことです。そうすると思考がストップしてしまいます。
まずは「こんなのあったらいいな」のドラえもん的発想をもってください。何でもありでたくさん書き出していってください。量を出さないと宝物は出てきません。
アイディア出しの段階で余計なブロックをかけないこと。仕事になるか、お金を払ってくれるかを決めるのはお客さまです。自分の中だけで結論を出さないでください。
素直に大好きなことを選ぶ
アメフトが好きな人がいます。「この話ならずっと飽きることなくしゃべっていたい」と話していました。銭湯が大好きな人がいます。「素直に」というところがポイントです。お金にしようとか雑念が入ったものはNGです。純粋にそれが大好きというものです。
情報発信する
世の中で起こっていることを自分が大好きなテーマのフィルターを通してみてみるという方法です。例えば、「世の中で話題になっているニュースをアメフト的にいうとこうなる」とか「これを銭湯でやろうと思ったらこうなる」といった自分なりの解釈にしてみるなどです。
最初は文章なんて書けないと思うでしょう。言語化はトレーニングで身に着きます。要は慣れです。日々書いていると慣れてきます。言語化とは自分の頭の中にあることを第三者にわかるように表の出す行為です。言語化できないと相手には伝わらないということです。
ずっとやり続ける
ファンを集めていきたいのならずっとやり続けてください。一時の思いつきなら最初からやらない方がましです。
カレーおじさんという人がいました。カレーが大好きで三食カレーを食べていました。せっかく毎日食べているからとブログを書こうと思いました。そして毎日投稿していきました。
するとある日のこと取材依頼が飛び込みました。出版社から本を書きませんか?とオファーが来ました。食品会社からカレーの監修をしてほしいという話が来ました。カレーイベントをやるのでプロデュースしてほしいという話が来ました。いつの日かカレーおじさんはカレーの専門家になっていました。
これは実際にあった話です。この感覚にハマるものです。ずっと続けていくには義務感ではできません。だから大好きなことなのです。
失敗しないための40代起業の手順
サラリーマンが起業していくには「正しい手順」があります。その「手順」をちゃんと理解した上でまず「行動を始めること」です。
僕が独立した当時は、モヤモヤして何から始めたらいいかといった相談ができる人が周りにいませんでした。
手当たり次第いろんなセミナーに行き、たくさんの教材や本を買い、大金をはたいて起業塾に入ったりもしました。その間に使ったお金と時間は途方もない金額です。
40代からの起業は「正しい手順」で確実にかつお金と時間のロスを最小限していく必要があります。置かれた環境をふまえ、限られた資源の中での活動になります。
ステップ1:環境を変える
会社に入って以来、それなりに一生懸命やってきた。いつも会社のことだけを考えてきた。そんなある日、予期せぬ人事があった。今までやってきたことを水の泡にするような仕事。何でこんなことになるんだろう?会社に尽くしてきたのは何だったのか?
振り返ると自分ならこうしたい!というときは何度もあった。でも会社の意向は違うところにある。しょうがなくやらされているというときも多かった。自分でやるということを考えてもいいかもしれない。でも家族はいるし、住宅ローンもある。そんな軽はずみには行動できない・・・
例えばの相談事例です。サラリーマン23年、僕自身も同じような道を歩んできました。会社に雇われながら、上司の指示を受けながら、自分でやらないと気が済まないところがありました。
いつか独立起業のような道が歩めないかなあ?と思っていました。そしていろんな経緯があって独立の道を選びました。最初は怖かったけど、踏み出してみると驚くほど世界が一変しました。
もし、あなたがこんな思いの中にいるとしたら。毎日モヤモヤするのではなく、できることから行動してみたらいいです。決して会社を辞めろと言っているのではありません。
会社にいながらにして、自分の軸は何なのかをしっかり考えてみること。そして会社以外の環境に身を置いてみることです。
自分から環境を変えると自分の中にも変化が出てきます。「目がきらきら輝いていた」「みんないきいきしていて刺激をもらった」コミュニティに初めて参加した人は異口同音にこんな話をしてくれます。
自転車は最初漕ぎ出すまでが大変。でも動き始めると自然に進んでいきます。最初は小さな一歩からはじまります。
ステップ2:自分を知る
シゴトづくりへ向け最初にやるべきことは「自分を知る」ことです。シゴトづくりは生業を起こすことです。ゼロから自分でシゴトを創り出すことです。
「なぜその仕事がしたいのか?」ブレない自分軸を決めないといけません。そのためにこれまで生きてきた40数年間を洗いざらい書き出していきます。自分の原点はどこにあるのか?今ある自分はどこからつながっているのか?考えながらの作業です。
次にどんなシゴトを創り出していくかを決めていきます。一番重要なことは「ワクワク」です。自分はどんなときにワクワクを感じるのかを掘り下げていきます。そしてこれまでの経験を書き出していきます。いわゆる「できること」です。
さらに苦労、挫折、失敗、コンプレックスなど。もしかしたら思い出したくもないことかもしれません。でもそれこそが重要。マイナス体験はビジネスを創る上で宝物です。
「ワクワク」と「やってきたこと」と「マイナス体験」を掛け合わせて自分にしかできない仕事を創り出していきます。
このプロセスで意識してほしいことが3つあります。一つ目が「書き出す」こと。考える作業を頭の中だけやってはいけません。書くことで頭の整理がつくからです。面倒がらず一つひとつをきちんと書き出してみてください。できたら手書きをおすすめします。
二つ目が「話す」こと。思う存分書き出せたら、第三者に話してみてください。このとき重要なことがあります。それは話す相手です。
相手は必ず起業を志す信頼の置ける第三者にしてください。サラリーマンの人はNGです。サラリーマン思考の人には自律という発想自体ができないのでやっても意味がありません。
三つ目が信頼できる相手から「フィードバックをもらう」こと。「自分自身のことは自分ではわからないところがある」「思わぬ自分に気づくことができた」それがフィードバックをもらう理由です。
自分を知るプロセスを棚卸と言います。「書く」⇒「話す」⇒「フィードバック」は棚卸を正しく実践するための魔法の手順です。
ステップ3:自分軸を立てる
自分に何ができるだろう?スキルは何だろう?資格は?これから複業、起業をしようと考え始めたときに頭に浮かぶことですね。自然な考えですが、そういったことの前に必ずやってほしいことがあります。それはあなたがこれまで歩んできた人生を振り返るということです。
自分の根っこにあるものを自分軸といいます。起業は自分軸をかためるところがスタートラインになります。文章にして目に見える形にすると「自分はこんなことを考えていたんだ・・・」と再確認します。
そして自分自身と向き合い自分の原点を見つけることができます。じぶんヒストリーは自分の内面にある「根っこ」から築き上げていく重要なプロセスになります。
ステップ4:専門分野を決める
専門分野とは「◯◯の専門家」という意味です。起業するとは専門家になることです。
「第一人者」という響きをきいてどんな感じがしますか?もし公式な場で「◯◯の第一人者の◯◯さんです!」と紹介されたらうれしくないですか?
起業は専門家です。つまりその道の「第一人者」になるということです。自分は◯◯の第一人者になるぞ!そう決めることがシゴトづくりのスタートラインです。
第一人者と言えばその道のトップです。ナンバーワンになるということ。広い分野でナンバーワンになるのは至難の技です。だから範囲を狭くニッチなところに絞っていきます。
オンリーワンな場所をつくるわけです。オンリーワンでナンバーワンをつくるという組み合わせになります。平たく言えば「自分しかやっていない」ということです。
大人かけっこ教室、コスタリカらてん塾、内向的な営業マン育成、お稽古ごとの断捨離、ボードゲームでコミュニケーション、まんがで想い出プレゼント、和菓子で親子関係づくり・・・。コミュニティOBOGの専門分野です。事例を挙げたらきりがありません。
第一人者になるためにはコツがあります。それは誰よりも先に「言っちゃう」ことです。この世界は言ったもん勝ちです。後になって「それなら自分も考えていたのに・・・」なんて言っていてもあとのまつりです。
考えているだけなら誰でもできます。その中で実行に移せる人はほんの一握り。だから成功者になるのですね。「◯◯と言えば自分」。この◯◯を確立していきます。
ステップ5:商品サービスをつくる
何を売るかの前に最初に考えることがあります。それはお客さまにどんな「価値」を提供するかです。ただ価値と言ってもどんなことなのかピンときませんよね?平たく言えば価値とはお客さまは「どうなるのか?」という意味です。
次にお客さまに「なにを」売るのか考えていきます。
まず、自分のリソースキーワードを選んでいきます。キーワードの視点は3つ。自分が一番ワクワクすること、その次に好きなこと、そしてできることもしくはコンプレックスに感じてきたことです。
次に専門分野マトリクスで発想していきます。それぞれのキーワードを掛け合わせて、できそうなことのアイデア出しをしていきます。出てきたアイデアを枠の中に書き出していきます。
そこへ「うれしかった」「困った」「あったらいいな」3つの実体験からのアプローチをプラスします。「こんなサービスを受けてうれしかった経験がある」「こんなものがあったらいいなとずっと思ってきた」「自分が本当に困っていたことはこんなこと」を思い出して専門分野マトリクスに書き足していきます。
最後に、マトリクスから専門分野とやりたいものを決めていきます。書いたアイデアの中でも、その先がどんどん想像できる、これをやってみたいというものがあればそれにマークをつけます。専門分野の組み合わせの中でマークがついたものを商品サービスとして具体化していきます。
ステップ6:情報発信する
商売を始めていく上で一番のキモになるものって何だと思いますか?それはお客さまを集めていくこと、つまり集客です。ビジネスは集客なしでは成り立ちません。どうやってお客さまを集めていくのでしょうか?
答えは自分がお客さまならどうするかかが原点です。あなたは何かに困ったとき、何かしたいときどんな行動をしますか?まず手元になるスマホで検索するのではないでしょうか?
検索結果で出てきたものから自分なりに選んで次の行動に移るのではないでしょうか?ということは、もしスマホで検索した先にあなたがいなかったらずっと見つけてもらうことはないということです。
「画期的な商品ができた。これなら売れる!」そう思いがちですね。そうではありません。どんなにいい商品サービスがあったとしても知ってもらわないと何も始まりません。
知ってもらうためにやることは2つ。インターネットで情報発信することとリアルで人に会って伝えることです。「ネットなんてこれまでやったことないし」「人と会って話すのは苦手だから」得手不得手があると思います。でもシゴトを動かす上ではこの両輪をまわしていく技術を習得していかなければなりません。
ステップ7:実際に動いてみる
組み立てができノウハウを学んだらあとはやるだけですね。でも実はこれが最後の関門です。活動準備中はいろんなことを考えます。考えれば考えるほど行動は止まってしまいがちです。
止まってしまった人に「まずは動いてみようよ!」そう伝えます。でも実際はなかなか動けません。理屈でわかっていても第一歩が踏み出せない状態になるのです。
これまでたくさんの人と関わってきて必ず起こる事象があります。数ヶ月間がっつりサポートしたにもかかわらず、行動が止まってしまうケースです。サポート期間中に身の丈シゴトづくりに必要なことはすべて習得しています。
それまで期限に追われながらやってきた分多少減速するのはやむを得ないことです。でも止まるほどもったいない話はありません。動きが止まって出てくるのは不安だけです。不安が出るとますます動けなくなります。
「動かない→不安になる→さらに動かない→安定を求める→何もしなくなる」という悪循環が生まれます。不安にならないこと。まず最初に覚えておくことです。
自分が本当にやりたいことでシゴトをつくりたい。誰もが思うことです。でも最初から見つかる人はいません。どうすれば見つかるのでしょうか?それは実際に動いてみることです。お客さまと接してみることで答えが見つかります。
40代起業におすすめの助成金・補助金はあるのか
助成金や補助金のことが気になっているかもしれません。世の中にはいわゆる創業補助金という制度あります。一定の審査をパスしたら、掛かったお金の何割かを支給してくれる仕組みです。全額を支給してくれるものはありません。
募集時期に合わせ審査を受けるために所定の流れにしたがって事業計画書を書きます。事業計画書で判断されるのでそれなりの労力をかけて作り込む必要があります。
金額や内容によって、小規模事業者持続化補助金、ものづくり補助金、事業継承補助金、キャリアアップ助成金といったようなものがあります。
認定支援機関
創業補助金と併せて知っておきたいのが認定支援機関(経営革新等支援機関)の存在です。認定支援機関には専門知識を持った人たちがいます。補助金申請のために経営相談をすることができます。
助成金・補助金を考える前に必要なこと
「起業にお金はどのくらいかかるの?」「資金調達の仕方を知りたい」これから始めようとする人に多い質問です。なぜそうなるのでしょうか?公的機関の創業塾などは金融機関が主催になっている場合が多いですね。
主催者にとっては融資をしてもらってなんぼということになります。一連のセミナーの後に融資についての案内がセットになっています。フランチャイズで独立しようというケースだと加盟金が必要になります。
加盟金を借り入れしようと考えてしまいます。独立起業というと融資を受けるのが当たり前という先入観ができてしまっているのです。
これらは間違いです。必要になるのは当面の生活費です。
初めての起業にはお金をかけないのが鉄則です。お金を投資すると返済することにばかり意識がいきます。返済しないと事業は滞るので当たり前のことです。
このサイクルに入ってしまうとおかしなことになります。目の前のお客さまによろこんでもらうために何をしたらいいのか?
商売の原理原則がどこかに飛んでしまいます。補助金は文字通り「補助してくれる」ものです。補助金ありきで起業を組み立てることのないようにしてください。
まとめ|40代から人生を変えたいなら助走しよう
40代起業で一番大切なことは複業中に「お客さまを集める仕組みをつくる」ことです。事業計画書を書くことでも会社設立の仕方を覚えることでもありません。「稼ぐ基盤」をつくらないことには何も始まりません。サラリーマン時代はこの本当の意味がわからないんですね。
「起業には知識が必要だ」そう思い込んでいます。結果、事業計画書や起業手続きのやり方セミナーのようなものにばかり行ってしまいがちです。もちろん、事業計画、法人設立、資金調達といった知識が不要ということではありません。その段階に来れば学ぶべきです。
それよりも最優先すべきことが「お客さまを集める」ということなのです。お客さま不在のビジネスは成立しません。お客さまの基盤になる「ファン」づくりをサラリーマンをやりながら集めていきます。お客さまを集めるプロセスで、だんだんとあなたのブランディングもできていきます。起こす行動は情報発信です。
サラリーマンが起業していくには「正しい手順」があります。その「手順」をちゃんと理解した上でまず「行動を始めること」です。これを「助走」といいます。助走なしで起業は成功しない。しっかり覚えておきましょう。
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