自律的自由人

新しい働き方生き方「自律的自由人」のすすめ

自由でありたい。自分らしくありたい。多くの人が思うだろう。

本当の自由は責任を果たすところから生まれる。責任とはまず自分に責任をもつこと。家族に責任をもつこと。地域や社会に責任をもつこと。自分の周囲あらゆるものすべてに責任をもつこと。責任のない自由は見せかけのものでしかない。

責任をもつためには自分を律する必要がある。つまり「自律」できるということ。自律とは「他からの支配・制約などを受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動すること」とある。

自由で自分らしく責任をもって自分サイズのしあわせをつくる。この生き方を自律的自由人と呼んでいる。働き方は生き方。生き方を変えるには働き方を変える必要がある。本記事ではこれからの時代の新しい働き方生き方「自律的自由人」についてまとめた。

 

自分らしく働くという意味を知る

自分らしく働きたい!そう思うだろう。とても大切なことだ。自分の個性をなくして毎日仕事をするほどつらいものはない。個性を埋没させて目標を定めて仕事をするようなやり方で組織は活性化しない。一人ひとりの個性にフォーカスするからこそ良いチームに育っていく。

では自分らしい働き方ってどんな働き方なのだろう?自分が思うように自分のやりたいことをやりたいように自由にやれること・・・こんな感じだろうか?

自分らしさは個性だ。その人にしかない魅力だ。個を尊重し掘り下げてスポットライトをあてる。だからと言って好き勝手にやればいいという話ではない。

チームに所属する一人ひとりが誰かのために貢献したいというゴールをもつこと。そして自分を律することができること。この2つがあることが条件だ。

つまり自由でありたいなら責任をもとう、責任をもつことで本当の意味での自分らしさを生かした働き方ができるということだ。

自律とは「他からの支配や制約を受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動すること」とある。逆に他律とは「自らの意識によらず、他からの命令や強制によって行動すること」。

常に「自分を律する」ことができるか否かは人生をコントロールする上でとても重要な要素だ。そこには自分が立てた行動規範が必要になる。

自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするとき人は自由となる。責任を持つがゆえに自由となる

ドラッカーはこう伝えている。自由と責任は一体のものだ。責任のない自由は単なるフリーターでしかない。誰かの役に立ちたいという想い。そのことに対する責任。これが掛け合わされてはじめて自律した自由人になる。

こうした生き方を「自律的自由人」と呼んでいる。一人商いは自律的自由人だ。自律的自由人への道を歩んでみないか?その一歩を踏み出すだけで毎日がいきいきワクワクに変わっていく。

自立があって自律がある

ハイハイをしていた赤ん坊がやがてみずからの2本の脚で立ち上がる。これが「自立」である。そして自分の脚で立った後、今度は自分の意志のもとに方向づけして進んでいく。これが「自律」である。(HR-Agora2014年06月17日から引用)

自立の後に自律がある。自律することで働くことの意味がわかるようになる。自分で人生を切り拓くことが体現できるようになる。自分が立てた行動規範に則して自由に生きていく。それが自律的自由人だ。

自然体であること

自律的自由人の基本スタンスは自然体だ。肩肘を張らない。自分を大きく見せてもそれは単なる虚像。無理して背伸びしても長くは続かない。ずっと続けていけることが全てだ。

成長しないといけない。前年の売上を何倍にもしていかないといけない。上がっているうちはそのことに満足する。いったん横ばいになる。下降し始める。すると途端に苦しくなる。そのうち自分は何のために毎日働いているのかさえわからなくなる。

毎日をたのしく生きる。無理なく自分のペースで。そのためにはあくまで「素の自分」でいることだ。そのままの自分。等身大の自分。それ以上でも以下でもない。自然体であることはとても重要な基盤になる。

エストニアでの見聞

スカイプ発祥の地、IT立国として有名なバルト3国エストニア。海の向こうでは新しい働き方が芽生えている。jobbaticalという雇用側と労働者側をオンデマンドに仕事をマッチングするサービスだ。名前の由来は仕事と休暇を融合するという意味というからくすぐられる。

例えば「1年間だけあるプロジェクトに入社する」というやり方。従来のサービスは、フリーランスが業務委託で一定期間仕事を請け負う社員ではないもの。

このサービスは一定期間の入社だ。世界の行く先々でスキルを生かし、プロジェクトに参画して自身を向上させる働き方をする人がターゲット。自由な時間を大切にし、自身のアウトプット次第で勝負する、そんな働き方だ。

ここには当然8時間労働とか週休2日なんて今あるような枠は一切ない。好きなときに好きな場所で要望があったとき要求に応じて仕事を提供する。その代わり課せられた責任はちゃんとやり切る。そんな働き方が具体化できる仕組みと言える。

先日地方を電車で移動した。場所と見える景色を変えることで発想がどんどん広がるのを実感した。ずっと事務所にいる。毎日パソコンにかじりつく。会話もなくカチカチ打ち込む。下を向いて会議に参加する。そんなことをしていても新しい発想なんて出てくるはずがない。

もしオフィスでなくどこか別の環境で仕事をしたいという希望があればOKを出す。会社としては社員が自ら考え動ける環境をどんどん提供する。

そんなことをするとルールが乱れる。社員が勝手なことをするかもしれない・・・そんな旧態依然としたことを言っているような会社に未来はない。

会社だけはない。社員も自覚を持って行動する前提だ。細かい話だがこの場合交通費はもちろん自己負担だ。交通費を会社に出してもらって、気持ちのいい環境で仕事をしたいなんて都合のいい話はどこにもない。

その時点で会社に依存していることになる。自ら志願するならちゃんと結果も出す。本当に社畜を脱出したいのなら自分もリスクを負う。そんな心構えが必要だ。

自由になりたいなら責任をもつ。責任をもつから自由を得られる。それが自律だ。会社に属する人もこれからの時代持っていたい働き方志向と言える。

大好きを極める

「自分でシゴトをつくるには専門性が必要になる。でも今までやってきたことには専門なんて呼べるものはないし自信もない。そんな中どうしたらいいかわからない」

行動し始めるときに多くの人がぶち当たるカベだ。

そんなときに意識をしたいのが大好きなこと。大好きなことなら学べる。ずっと続けられる。没頭、集中、無我夢中。そうなれることを見つけよう。

人には必ず熱量が上がるものが一つはある。もしわからないのなら、今興味があることをいくつかやってみよう。その中でこれかもが見つかっていく。

そしてとことんそれに打ち込んでみよう。場数を踏んでいこう。自信はやっていくうちについていく。この繰り返ししかない。

気がついた頃には他に誰もできないような専門家になっているから。自律的自由人はシンプルにたのしいを追求する。

事務所は持たない

サラリーマン時代、大手企業に22年在籍した。毎日毎日オフィスに通っていた。決められた時間に出社し、定時を超え残業するまでずっと事務所にいるという感じだ。

会議と言えば時間をかけて作った資料を全員で読み合わせるといった具合。会議資料をつくることに一番時間を割かれる。それが当たり前の日々だった。

その後ベンチャーの立ち上げ創業に関わった。ベンチャーでは一応オフィスはあったもののデスクで朝から晩までいるなんてことはほとんどなかった。

上司が部下に指示を出すなんてそうそうない。みんな余裕がない状態だ。一人ひとりが自分で考え、自分で動かないと会社が動かない。そんな空気感があった。

そして起業家になった。起業の世界はまさに誰からの指示もない。すべて自分で決め、自分で動く。今日何をするか、何時にどこへ行って誰と会うか、どんなチームをつくっていくか、そのときそのときの発想、ヒラメキ、判断で動いている。

長きにわたり大企業での働き方を経験してきた。小さなベンチャー立ち上げも体験した。そして完全独立型の自律的自由人しての生きて十数年。

このプロセスで得た答えは、毎日オフィスに集まる必要はないということだ。オフィスでは、みんなパソコンに向かい合って黙って作業をしているに過ぎない。

そんなことのためだけにオフィスに時間と労力をかけて通勤するのなら、自宅でやれば済む話だ。その方が時間と労力を有効活用できる。

事務所にいても景色は変わらない。いつも顔合わせするメンバーも同じ。そんな環境で新しい発想なんて広がるはずがない。

外に出て開放的な気持ちになって歩いてみる。公園で青空を見ながら頭をやわらかくする。カフェで周囲の人の動きをみながら発想する。そんなときの方が断然アイデアは湧いてくる。

もし集まるのなら、顔を合わせて話さないといけないことがあるときだけで十分だ。今はWEB会議といったツールがある。オフィスにわざわざ行かなくてもいいような案件もたくさんある。

大勢の社員が集まる受け皿を通勤費や高い家賃を払ってつくることに意味はない。

会議ひとつとっても、ただ資料の読み合わせだけのためのならメールで共有すればいい。新しいものを生み出していくのなら場づくりの意味はある。

ただ単に情報共有するために時間と場所をつくるなんてナンセンスだ。未だに会社には会議を開くことが仕事と勘違いしている風潮がある。時代錯誤も甚だしい。

でもこれらはみんなが当たり前と思っている働き方だ。だからこそシンプルに考えよう。そうすれば無駄なことがたくさんあることに気づく。

オフィスや社員を固定化する必要なんてない。必要なときに必要な場所で必要なメンバーがチームをつくって仕事をする。

自分たちがやりたいことが最短最速かつたのしく達成できる。それでいい。旧態依然とした日本の働き方を抜け出そう。フレキシブルでいきいきとした自律的自由人を志向しよう。

雇わない

起業する。会社をつくる。従業員を雇う。それが当たり前だと思っていないだろうか?大きな会社で従業員がたくさんいる。そうきくと「すごいなあ」と感じることだろう。

一見するとそうかもしれない。ただその中身をよく知っておかないといけない。

従業員を雇うとどんなことが起こるのか。まず毎月給料を払わないといけない。儲けがあろうがなかろうが固定の金額を払う必要がある。

給料に加えて社会保険料も負担しないといけない。「毎月給料を払うために会社をやっているようなもの」知り合いの経営者からはこんなホンネが出る。

従業員がいると自分一人で即断即決できなくなる。一緒にやってくれている人の意向をきくとか調整を図るとかバランスをとるといった煩わしいことが生まれる。まさに自由が失われることになる。

人の力を結集すると大きなことができるのはないかと反論が出るかもしれない。もしこうした煩わしいことをやってでもそうしたいのならやればいい。

仕事の大小なんてどうでもいい。自分が思ったことをすぐ行動に変えたい。そんな価値観をもっている人が自律的自由人を目指せばいい。

そもそも何のために自分でやり始めるのか。全てを自分の思うようにやりたいからではないか。個人が組織になった瞬間に自由はなくなっていく。

思い立ったらすぐに行動に移せること。自律的自由人はどこまでも自由であることにこだわった働き方だ。

雇われない

世の中にはフリーランスという働き方がある。フリーランスと自律的自由人は全く違うものだ。例えば出版社があったとする。そこには何種類かのフリーランスが仕事として入っている。

カメラマンやライターといった人たちだ。彼らは出版社からの発注にもとづき仕事をする。ある意味「下請け」仕事だ。独立したけど雇われと何ら変わりはない。

仕事を発注する側が不況になると仕事は一気になくなる。それだけを頼りにしていると生活自体が成り立たなくなる。最悪の場合、廃業に追い込まれてしまう。現実にそういうフリーランスの人がたくさんいると聞く。

こんなふうにフリーランスで下請けをやっていると、日々お金のためだけに仕事をすることになってしまう。

「独立して自由になったけど、サラリーマンやっているときとあまり変わらない。むしろサラリーマンの方が給料もらえるからラクかも・・・」こんなふうに思うようになったら本末転倒だ。

自律的自由人は自分でシゴトを創り出す。単なるカメラマンやライターではない。カメラマンやライターは世の中に星の数ほどいる。そもそもそれだけで食べていくのは至難の技だ。

写真撮影を通じてこんな価値を提供できる、ライターという技術でこんな人をこうできる。「◯◯の専門家」と言えてはじめて自分の足で立ったことになる。

もう一つ肝に銘じてほしいことがある。それは「たのしく仕事をする」ということだ。人に指示を受けてやる仕事なんてたのしいはずがない。

こんなことをやってみよう!あんなことがあったらいいな!やりたくてしょうがない!いてもたってもいられない!それをすぐ形にできるのが自律的自由人だ。自分でシゴトを創ることの醍醐味がここにある。

独立してすぐの頃は食べていくのに必死になる。だから仕事も来るもの拒まずになる。それはそれでやむを得ない。

でも数年経ってそこそこ仕事がまわるようになったら下請けはやめよう。自分がたのしく仕事をするために自律的自由人になる。誰からも雇われない働き方を目指そう。

時間に縛られない

勤め人だと当然のことながら勤務時間がある。9時17時という言葉がある。出社時間には何があっても遅刻できない。

そのために乗りたくもない満員の通勤電車に乗る。人混みの中で疲労困ぱいになる。みんな一様につらそうな顔をしている。肩が触れただけでイラっとする。

会社に着くと何があろうとその場に居ないといけない。やれ会議があるとなるとその時間に振り回される。「何だか集中できないなあ・・・外に出てリフレッシュできたらいいのに」そんなときでもデスクに座ったまま。これで良い仕事ができるはずがない。

自律的自由人は、朝何時に起きようがいつ仕事をしようが全て自分が決める。だからといって朝寝坊をすることはない。

考えたり物書きをしたりする思考の時間は早朝の脳が動くときに集中する。深く思考するにも早朝時間は最適。周囲にじゃまをするものがないからだ。

午後からは作業に充てる。夕方になったらリラックスする。いつまでもダラダラ仕事をしない。家族との時間前にはシャッターを閉じる。集中とリラックスのメリハリがつくようなサイクルを心がけている。

考え事で煮詰まったときは公園に散歩しに行く。この映画!と思うようなものがあれば午後から予約して観に行く。山のオフィスにいるときは開拓作業に勤しむ。

するとその中でハッと気づきが生まれる。これだ!と答えが降りてくる。一発解決の瞬間だ。いつも違う環境に身を置くことの意味を実感する。

固定化しない

自律するなら「やわらか頭でいること」が大切だ。フツーのサラリーマンはデスクについてパソコンとにらめっこという場面が多いだろう。いつものオフィスの景色だけ見ていても頭は硬直化するばかりだ。

僕もサラリーマン時代はそうだった。毎朝始業時間より早めに出社。その日の売上日報を整理したり、メールを読んだり。朝礼が終わると自分のデスクに座ったまま作業。

昼ごはんは上司について何軒かの行きつけのお店をまわす。お店までの道もほぼ同じ。昼からはまたデスク、会議、打ち合わせ。その後残業でデスク。考えてみるとデスクばっかりだ。

こんなことを続けていると世の中が見えなくなる。インターネットや新聞の情報だけ読んでいても意味がない。本当の情報は、自分の目で見て、耳で聞いて、味わって、肌で感じてみることからはじまる。

いろいろ頭で考えていたけど現場に行ったらすぐに解決した!そんな経験はないだろうか。

たまには外へ出てみよう。会社の近くにある公園まで歩いてみる。いつものルートでなくちょっと路地裏や横道に意識的にそれてみる。

日頃気にとめることのない景色に目をやってみる。するといつも歩いているような場所にも新しい発見が生まれる。

といっても現実は勤務上難しかったりするだろう。サラリーマンはつらいもの。自律的自由人を目指すならこうして染みついた習慣をすべて拭い落とそう。好奇心をもってこれは!と思ったら現場、現場だ。

このコラムも大阪への新幹線の中で書いている。新幹線といっても決まってこだまに乗る。こだまは各駅停車だ。のぞみだと途中の駅や景色を見ることはない。各駅だからこそ毎回新鮮な発見がある。

車窓から見える家々、畑、山を見ていると頭がやわらかくなる。新しい発想も湧いてくる。不思議だ。人間の脳は五感が働く環境だとがぜん動き始めるみたいだ。

自律的自由人は頭も場所も固定化しない。「あ、これおもしろい!」「やってみたい!」そう思いついたことを即実行に移す。フレキシブルそして何よりたのしくやることを最優先しよう。

思い立ったらすぐ行動

自律的自由人は自分の責任のもと思い立ったらすぐ行動に移す。「これだったらこうした方がいいかもしれない」「ナイスアイデアが浮かんだ。まず現場に行ってみよう」頭にイメージができたりこうしたい!と思ったらすぐに実行する。

実行している間はそのことだけ。それしかやっていない。集中し没頭する。シンプルなのでからだは疲れても心地良さが残る。

他人から何かを言われることもない。余計なストレスはゼロ。良くも悪くもやったらやった分が跳ね返ってくる。メリハリの利いた毎日を送る。

組織でなくチーム

組織というものに対しどんなイメージを持っているだろうか?会社組織で使われるものだ。組織のヒエラルキーなどという表現もされる。

ヒエラルキーをつくった瞬間にたくさんの支障が出てくる。たったひとつの物事を決めるのにも時間が掛かる。組織が多くなればなるほど、人へ説明説得することに時間と労力が必要になる。

組織をつくると人の管理といったマネジメント的な仕事が増える。人の管理が増えると本来自分が現場で手がけたいことができなくなる。上司のために仕事をしお客さまへ向けてが不在になったりする。

そもそも「人を管理」するなんておかしなことだ。相手は生身の人間であって物ではない。一人ひとりを尊重する前提がある。その意味では「管理職」という言葉すら違和感がある。

僕はサラリーマンを23年やってきた。大きな組織にも身を置いた。その節々で自分らしさを失ったときがあった。組織の中をどう泳ぐかということを考えないといけない場面がそれだった。

自分がやりたいと思ったこと。正しいと思ったことをシンプルに実践したい。そんな思いがずっと自分の中にあった。その結果、組織ではない個人で独立するという選択肢に至った。

何か案件が出る。ご縁のあったその道の第一人者の中からテーマにふさわしいメンバーを募る。希望者に手を挙げてもらう。

そこでは雇用関係は発生しない。お互いフィフティの関係だ。それぞれの個性や独自性を存分に発揮できる環境。個人ではできないことをチームで具現化する。自律的自由人はチームの本質を理解している。

人と人がつながる

八百屋、肉屋、魚や、鍛冶屋、靴屋、乾物屋、金物屋・・・昔は今よりたくさんの種類のお店があった。当時一人ひとりがいきいきと生活をしていた。たのしいこと、苦しいこと、いろんなことがあるけどたくましく生きる。

稼ぎはそんな大金ではないかもしれない。でもお客さまに「ありがとう!」と言ってもらう。そのことにやりがいを感じる。

そして仕事以外でも人間関係ができてくる。お互いを気にかけ合っていた。だからきっと毎日が輝いたものだったはず。まさに一人ひとりがいきいきと自律した生き方だ。

笑いと涙の中で人と人がつながり、お互い協力し合って毎日を送る。商店街はまさにその形だ。その後、大企業ができ大型スーパーが出店していった。時代のながれとともにそういった細かな仕事がひとまとめになっていった。

商店街もすたれていった。シャッター街と呼ばれるようになった。世の中がアナログからデジタルに移行していった。いつの日か人と人とが直接ふれあう温もりが失っていった。義理人情という世界もなくなっていった。とてもさみしいことだ。

こうした仕事の形態を自営業と言う。個人事業主、個人商店と呼ばれるものだ。一方でアメリカから来たフリーエージェントという働き方。それに古くから日本にある人の温かみをプラスする。

これこそ「新しい自営業」だ。これからの時代は、個人商店が新しい形になって現れてくる。そのベースになるのが自律的自由人だ。

人と人とがしっかりつながる。お互い困ったときは助け合う。でも一人ひとりはちゃんと自立している。人にやさしい自営業があふれる。そんな社会がつくっていけたら。新しい自営業づくりをしていきたい。心に熱いものを感じている。

自律的自由人として生きる決意をした一人

Kさんは大手サービス業に入社。いくつかの主要プロジェクトを担当、その全てに結果を出してきた。ある日知り合い社長から自社参画を打診され転身。危機にあった事業を再生するための功績を残した。

ところが予期せぬ突然の解任劇に見舞われる。いったい何だった・・・疑心暗鬼に陥った。その後もベンチャーを渡り歩きいくつか支援。「このままでいいんだろうか?」「自分が本当にやりたいことは何なのだろう?」40歳にして立ち止まった。

覚悟を決めるため会社を辞めた。そして自分の会社を設立した。何をやるかはじっくり決めようと考えた。特にこだわるのは自分軸。これからの人生で確固たる軸になるものを定めることだ。そんな思いに立ったときご縁があった。

その後、共に道をつくっていった。自分軸を掘り下げていった。ある日、一通のメールを送ってくれた。

こうして自宅に一日います。今までと大きく違うものに気づいています。一番は家族との会話。朝昼夜とにかくたくさん会話をしています。子供たちの今、成長も手に取るようにわかる。

庭に小さな家庭菜園があります。朝と夕方、面倒をみるのは僕と子供たちの役割です。「こんな大きなきゅうりができたよ」「水やりしておくね」子供たちとのやりとりがたまらなく心地良いです。

そんな毎日を営むことでわかったことがあります。僕が求めていたものはこの暮らしだったのだと。妻もこんな日が毎日続くといいねと言ってくれています。

今までとは真逆の生活。でも真逆を経験したからこそわかったのだと思います。それを実現するために全力で走っていく。それだけです。

今、あなたはどうありたいのか?どう生きていきたいのか?シンプルにこの質問に向き合ってみてほしい。

まとめ

会社を大きくする必要なんてない。大きくなれば社員を雇うことになる。そうなれば社員一人ひとりに責任をもつことになる。自分が本当にやりたいことができなくなる。自分がやりたいことは周囲がどうとかでなくすぐに実行したい。

オフィスなんて持たなくていい。眉間にシワを寄せて満員の通勤電車に乗るなんてナンセンス。余分なコストも掛かる。しかも固定費だ。自宅で仕事をしていたらそんな心配はない。何より家族が近くにいる。たくさんの時間が共有できる。これに勝るものはない。

自由になれたらいい、自分さえ良ければいいだけではない。相手とのことも考えながら周囲とつながって生きていく。人は一人では生きていけない。気の置けない仲間が一人またひとりと増えていけば最高だ。

自律とは自分を律すること。自分なりの行動規範を持って生きていくことだ。家族と社会に責任を持って毎日を送る。責任があって自由がある。自由になるには責任を持たないといけない。自律的自由人とはそんな生き方だ。

まずは自分自身がこの生き方を実践する。それで生きていけることを形にする。こんな生き方に共感してくれる仲間と一緒に仕事ができるようなプラットフォームを創っていきたい。

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