早期退職、リストラ、役職定年・・・50代になるとサラリーマン事情も急変します。
「これから定年後をどうしよう・・・」「このままで会社に居続けていいのか・・・」「雇用延長、どうしよう?」
人は窮地や分岐点に立ってはじめてこれからの人生を考えるようになります。本記事では定年後の生き方をどう考えたらいいのか、どういう行動をとったらいいのか、いくつかの視点でまとめました。
50代に押し寄せる生々しい事例
大手企業に勤め定年卒業した。当面の収入を得るため、再雇用の1年契約をしている。でも給料がとても安い。そのことに納得ができない。今までの経験を生かして自分で仕事を始めたいと思うようになった。定年後の生き方をどうしたらいいか、現役時代よりずっと悩み続けている。(61歳男性)
大手で35年勤めていた。57歳で部長から課長へ格下げ。いわゆる役職定年。これまでの苦労が水の泡。おもしろくないなあと思うようになった。59歳には課長から平社員になってしまった。第二の人生は、好きなことを仕事にしたいと思う。(60歳会社員男性)
50歳を過ぎて会社の合併統合があった。毎年のように会社の名前が変わっていく。そんな中、いつ自分の仕事がなくなるかわからない毎日。自分で仕事をつくらないといけないと感じるようになった。自分が経験した思いを若い人たちに伝えられるような仕事がしたい。(58歳会社員男性)
20年間勤めた会社が再編成。45歳で初めての転職、その後3社を渡り歩いた。以前から独立したい気持ちはあったが、定年後の人生は自分が主人公になりたいと強く思うようになった。(57歳会社員男性)
それまで順調だった。でもある時点で降格、減給。人間不信にもなりかけた。転職も考えたが50代では年齢的にもむずかしい。独立起業という選択肢が浮かんできた(54歳会社員男性)
個別モヤモヤ相談に訪れる50代の生の声です。50代でしぼんでしまうのか。それともこの逆風を追い風に変えるのか。
逆風は振り返れば追い風になります。それを決めるのは自分次第です。一番大事なことはこれからに人生をどうつくっていきたいかです。一度立ち止まって考えてみましょう。
定年後もお金のために正社員になる実態
人生100年時代と言われます。定年後も働く人は増えています。60歳以上の7割がお金のために働いているとの数字があります。その割合は増えているそうです。
年金がもらえるのか?医療費が増えるのでは?介護になったらどうする?定年後の不安が理由なのだとのこと。統計データから出ています。
現在働いている理由でトップは「お金を稼ぐため」。「健康維持のため」「人と関わりたいから」「仕事が好きだから」「時間に余裕があるから」と2位以下が続く。年金をもらいながらゆとりのある老後を送っている人は減っている。
60歳から理想とする雇用形態は「正社員」が最も多い。起業したりして自由に働くよりも安定的な収入を確保したい心理が強まっているとのことだ。高齢者人口が増える一方、現役世代は減少が続く。シニアの雇用延長に取り組む企業が増える。起業よりも正社員で安定した老後をという人はますます増えそうだ(日経MJ2018.3.19より引用)
定年まで会社にしがみついて生きてきた上に、残りの人生をまた正社員として会社に依存したい・・・そういうことになります。この記事を読んで驚きました。
そんな気持ちでいるから健康を損なうことにもなります。そもそも老後という言葉自体に陰りがあります。老後と思うから老後になります。意識の問題です。
以前学生時代の同級生や後輩たちと30年ぶりに飲み会をやった時のこと。お酒が入り「早く孫の顔を見たいなあ」口々にそう言っていました。内心何を言っているんだろう?と思いました。
まだ50代半ば。これからもっとやりたいこと、こうしていきたいという思いはないのだろうか?正直それ以上話す気になれませんでした。
年金がどうなるかなんて気にかけていても埒があきません。国が決めることには納得がいかなくても従わざるを得ません。その時になって途方に暮れてもしょうがありません。だったら自分で稼ぐすべを見つけること。そしてやってみることです。
一つ知っておかないといけないことがあります。それは定年になったら始めようでは遅いということ。定年後に不安があるのなら定年前の50代から「準備」を始めることです。
会社を卒業して自分の時間ができてからなんて言っていたら遅い。商いづくりにはそれなりの時間と周到な準備が要るからです。
定年後の仕事の目的をお金を稼ぐに置くのなら、自分で稼ぐためにどうするかという考え方を持つことです。定年してまで会社に委ねた人生に意味があると思いますか?
人生は自分のためにあります。根本のところを忘れないでください。気概をもって生きていきましょう。
ワクワクを忘れない
60歳定年が近づいてきた。65歳まで今の会社で延長はできる。60歳からの後の人生には2000万円くらいが必要だという。でもこのままずるずる行っていいんだろうか?
これで終わるのは良くない。生涯現役で働いていた方がしあわせなはず。何かはじめた方がいいと思う。でも自分に何ができるんだろう・・・
サラリーマンで55歳を過ぎるとこんな思いがちらほらします。もしそう感じているのなら大いなるチャンスです。一度立ち止まってみましょう。そしてどうありたいかを描いてください。それが新しい人生を拓くという第一歩になります。
サラリーマンをずっとやってきて何の疑問ももたずに人生を終える人もいます。終身雇用と言われていた時代はほとんどがそうでした。それが当たり前でした。
でも今は違います。サラリーマンだけで人生を終えるほどもったいないことはありません。
自分の中にあるワクワクって何ですか?「この年になってワクワクなんて・・・」そんなさみしいことを言ってはいけません。ワクワクは何歳になってもあるし、持ち続けるものです。
年齢なんて関係ありません。毎日朝起きたらワクワクできる、そんな人生にしたくはないですか?
定年がない生き方
「60歳定年が来たときどうしようか?」「65歳までの雇用延長でほんとにいいんだろうか?」「定年後を年金だけで暮らしていくことに不安を感じる」
いろいろな思いが巡るでしょう。発想を変えてみてください。定年ありきの考え方ではなく「定年がない生き方」という視点です。
まず収入というところで考えてみます。サラリーマンをやっていると収入のピークは50代前に来ます。その後下降線をたどり定年、定年後は年金で細々と生活というイメージになります。その年金もいくらもらえるか不透明な時代です。
もし50代で商いづくりをする準備を始めたとします。正しい手順でコツコツやれば一定の稼ぎはつくれるようになります。そして50代のどこかの時点で独立起業します。
一時的には収入は減ります。でもその後上昇カーブを描いていきます。70代までそれなりで商いをしたとして生涯賃金はサラリーマン時代を上回ることになります。
そもそも社会保障制度があてにならない中、自分で稼ぎをつくるという視点を忘れてはいけません。自力でどうするかを考えてください。
さらに大きな収穫があります。自ら稼ぐということを始めると「生きている実感」が持てるようになるからです。
「そんなこと言っても50代で独立起業をスタートするなんて遅いんじゃないの?」こんな疑問も湧いてくるでしょう。そんなことは全くありません。世の中には遅咲きの成功者と呼ばれる人がたくさんいます。
カーネル・サンダースさんは65歳でケンタッキーフライドチキンを、レイ・クロックさんはミキサーの営業マンから50代にマクドナルドを立ち上げました。
安藤百福さんは47歳で世界初のカップ麺を開発しました。アンパンマンのやなせたかしさんは超売れっ子になったときは70歳近くになっていました。
これらの人を特別な人と思うのか、それとも自分にもチャンスがあると思うのか。自分でつくる人生の分岐点がここです。
今までやってきたことは自分が思いもよらぬことで花が咲くことがあります。そのためには夢を持ち続けることです。こうしたいと思うことです。
夢を持っている人は輝いています。夢を実現するために目標にチャレンジし続けることこそ尊いものはありません。
日々生きていることに意味がないと愚痴っている人生がいいですか?それとも夢へ向かって毎日に生きている実感をもって人生を送っていくのがいいですか?
どちらを選択するかは自分自身。できるできないではなく、やろうとする気持ちが肝心です。
定年してからでは遅い
「定年後、年金だけで生活できるのかなあ?」「そもそも生きがいってどうやってつくっていけばいいの?」「50代からの起業なんて年齢として遅くないの?」「役職定年やリストラ、身の回りに起こっていることにどう対応していけばいいの?」
「定年後の第二の人生は自分で決めたい」「50代からいつまでも健康で、生きがいをもって生きていきたい」「人に感謝されながら豊かな人生をつくっていきたい」「定年後も生涯現役を貫いていきたい」
2023年時点の男性の平均寿命は81.05才。60才で定年したら退職してから20年以上ものたくさんの時間が待っています。
一方60歳から夫婦2人で必要な生活資金は3,000万といわれます。この時間とお金をどうするか。そのためにも第二の人生設計は必須になります。
こんな状況の中、何も考えず定年を迎えるとどうなるのか?定年でサラリーマンを辞めたとたんにすることがなくなって途方に暮れてしまう・・・だんだん外に出るのも億劫になって引きこもりになってしまう・・・そんな人も現実にいます。
特にサラリーマンでそれなりのポジションにいる人は要注意です。会社を辞めてはじめて自分の地位も名誉も人脈もみんな会社があったからと気づくときがやってくるからです。
定年後へ向け仕事の経験から価値を見つける
「今まで自分がやってきたことに価値があるんだろうか?」「仕事ひと筋で今日まできたから何も取り柄らしいものがない」
特に40代、50代と経験を積み重ねてきた人ほどこんな思考パターンに入る傾向があります。
結論から言います。その経験にこそ価値があります。価値は自分が決めるものではありません。第三者が決めるものです。
以前コミュニティであった出来事です。製薬業界にいるKさん。MR営業現場を30年超えでやってきた仕事ひと筋人間です。
その間新人研修を20年やってきました。Kさんに起業ネタではなく、これまで自分がやってきた現業ネタでミニ講座をやってもらいました。
医療に関する文献をたくさん読み込んできたから言える豊富な知識。現場で経験したからこそ出てくる具体的な例え話。下手な医者より、はるかにわかりやすい説明でした。
何よりKさんが話しているときたのしそうなこと。質問されたら「あ、そのことならね・・・」と次々にいきいきと答えていくうれしそうな姿。
まさに水を得た魚状態。とても印象的でした。これを仕事にしたらさぞワクワクできるんだろうなあ・・・素直に感じました。
人の役に立つことを教える仕事に講師があります。講師というと専門的な知識や人前で上手に話す技術をもっている人がする職業と思っていませんか?
それは間違いです。今の時代、知識だけならインターネットで検索したら山ほど出てきます。調べればわかる知識の話を聴きたいなんて誰も思っていません。
何より必要なものはその人が「実体験してきたこと」です。体験談にはみんな聴き入ります。共感を生み聴講者に気づきと行動を促します。これこそ今講師に求められる要素です。
「同じ会社で33年続けていくコツ」「海外現地法人を任されたときに覚えておきたい3つの鉄則」「大病したとき会社とどう付き合っていくか術」「フランチャイズ業界のウラ話」
どうですか?聴いてみたいと思いませんか?コミュニティには、こんな多彩な持ちネタがある50代メンバーがわんさかいます。
実体験にもとづく貴重な話を自分の中にしまっておくなんてもったいないです。そんな一人ひとりの持ちネタを世の中に広めたい。「世界一受けたい授業~FAA版」を発信できるようチームをつくったこともあります。
今あなたがやっている現業。これまで長年積み上げてきた経験がある人の役に立つことがあります。いやそれを待っている人が必ずいます。自分の価値を掘り下げてみましょう。
59歳からの生き方事例
一定の年齢になったら管理職を離れ、一般職になる役職定年。実質降格になることに加え、給料も減ってやる気が失せていきます。
それまで会社のために一生懸命にやってきた人ほど、「こんなはずでは・・・」とショックを受けます。だからといって落ち込んでばかりではお先真っ暗ですよね。役職定年を機にこれからの生き方を見直そう!そう思うことの方が大切です。
役職定年の憂き目に遭ったことで新しい人生を踏み出したTさん(活動スタート時59歳|2020年現在65歳)の事例をインタビュー体験談をベースにご紹介します。
踏み出すキッカケになった役職定年
銀行で20年勤務した後、上場メーカーへ転籍した。欧州、米州、中国の海外営業部長など権限がある仕事を歴任した。役職定年を迎え内部監査や法務といった事務的な部署へ異動、仕事のテリトリーはだんだん縮小していった。
今までと違って受け身の毎日。仕事に対する面白味を失った。それに加えて60歳を過ぎたら給料が大幅に下がる。そこまでして会社に残ろうとは思わなかった。
子供も巣立った。仮に失敗しても年金があればミニマムな生活はできる。どうせやるなら早い方がいい。残すところあと2年になった58歳。そんなふうに思っていたときFAAに出会った。昔から商売には興味があったが、何をやっていいかはないし全く自信もなかった。
人生の棚卸で蘇った学生時代の体験
海外関連業務で英語はそれなりにできた。何となく英語で何かをしようという考えしかなかった。人生の棚卸しをした。そこで鮮烈に蘇ってきたのは学生時代のバックパッカー旅行だった。目覚めた感じだった。
予備校に行っているとき書店で一冊の本を見つけた。それがバックパッカーの本だった。絶対行こうと思いESSサークルに入り英会話を学んだ。渡航費もバイトで貯めた。計画通り大学2年から3年の間で1年休学した。
ユーラシア大陸横断の旅はヨーロッパから始めて中近東・アジア経由日本へ。翌日泊まるところも決めない、前の国でビザをとるというような感じ。行った先のホテルで皿洗いのバイトをして軍資金をつくる。
いった先で新たな価値観や世界観を感じ取る。まさに放浪の旅だった。本当にたのしかった。あの時を超えるものはないと思った。そして自分がやるのはこれしかないと思った。思った以上はやるだけだった。
個人旅行はインターネットが主流になっている時代。決して成長産業とは言えない。ある意味逆風だった。でも自分なりのやり方で活路を見出せると思った。
すぐに旅行業のことを調べ始めた。第三種なら数百万円の資本でもできそうなことがわかった。
目標は決まった。会社を辞め、4ヶ月間集中して通信講座で勉強した。そして資格取得を果たした。資格を取った2ヶ月後に株式会社を設立、その翌月旅行業の認可を得た。
起業への道を歩み出す前のこと、夫婦で行った海外旅行に知り合いが同行したことがあった。こういう人がお客さまになり得るのかなという感触を得た。
一般的に女性は地図に弱い。行きたい場所があってもそれをどう組み立てていったらいいかがわからない。
誰かに任せたいと思っている。だからこちら側でプランを組んであげ連れていってあげる。どれだけお客さまが来るかはわからないけど、いけるのではないかと考えた。
金銭的リスクを抑えて起業スタート
さらに起業を後押ししたのは金銭的なリスクを抑えたことだ。失業保険から年金とつながれば最低限の生活はできる。失敗しても路頭に迷うことはない。最初に掛かるお金も極力なくした。
事務所も自宅にした。例えば店舗をやると内装代など戻ってこないお金が発生する。外に出るお金はないし、現在も固定費として発生するものはほとんどない。
起業前にこんなお客さまにこんな商品サービスといろいろ思案したが、現在の状況は、試行錯誤の末にこうなったというのが正直なところだ。
今のお客さまの9割は職業婦人だった女性たち。年代でいうと60代後半から70代でお子さんが巣立った方や未亡人といった方々だ。
時間と年金に余裕がある人。だから滞在型の海外旅行へ行ける。おかげさまで今は毎年参加してくれる方もいて、その人が知り合いに声をかけてくれる。良いお客さまが良いお客さまを連れてきてくれることを実感している。
完全オーダーメイドの旅企画同行で
民泊を活用した「暮らすような旅」がコンセプトだ。「バルト3国に行ってみたい。クロアチアもね。あとは任せるわ」お客さまが行きたい場所をヒアリングするところからスタートする。どこへ何泊してどうつながるかを考える。
直行便がどうなっていて、どことどこをバスで行くかなど行程を組む。「コンサートに行きたい」「オペラ鑑賞がしたい」「ショパンの国だからこんなことがしたい」ここではこうしたい、ああしたいを細かく聞きとりする。
「ラトビアにはパイプオルガンの教会がありますよ」各々の場所ではそこにしかない見どころを提案する。この間のお客さまとのやりとりはメールとスカイプ。キャッチボールは7~8回に及ぶ。
文字通り超オーダーメイドになる。打合せもないのに「さみしいからスカイプしようよ」そんなときもあったりする。
みんなグルメなので食にもこだわる。シーフードとか食べたいものに合わせて現地のレストランを数ヶ月前から予約する。するとレストランの対応も良かったりする。
宿泊先は民泊なので自分で食事の準備をする。常連さんが朝ごはんをつくってくれることもある。片づけまでしてもらったり、どっちがお客さまかわからないときもある(笑)。
先日はレストランでオーダーの仕方を英会話で教えてあげた。とてもよろこんでいただいた。起業当初は日本で英会話講座をやろうとも考えていたが、実際はこうして必要な場面でサポートしてあげる方が理にかなっていることがわかった。
お客さまによろこんでもらえ元気になってもらえるのが何にも増してうれしいことだ。例えば、ヘルシンキは新しい街並みだけど、クロアチアは中世からの歴史的建造物と美しい自然が両方たのしめる。
治安もよく安全。グルメもたのしめる。そんな提案をして実際行くと「また行きたい」と言っていただける。そう言われると連れていった甲斐がある。うれしいしとてもやりがいを感じる。
旅先で足の悪い方をウーバーを使って観光に連れ出したことがある。すると帰国後に、主治医から「筋肉がついてますよ。よかったですね」と言われたそうだ。足が痛いとだんだん運動しなくなる。
でも海外へ行くと物珍しさで見たくなって足が痛くても頑張ってしまう。70代の男性は旅行前にガンが見つかったけど、戻ってきたら消えていたという方もいた。旅行との因果関係はわからないがよかったと思う。
試行錯誤した起業初期
起業駆け出しの頃は、一人でも多くのお客さまを集めようといろいろなことをした。その中の一つで趣味サイト経由でカフェ会を企画した。合計すると何十人も来てもらったが結果一人もお客さまにならなかった。
情報には興味があるがより安く行くことを目的としている人たちばかりだった。地元で近隣にチラシを何千枚も配ったこともある。これもうまくいかなかった。
単に数を集めればいいということではない。一人であっても相手のニーズをきちんとつかむことの方が大事ということがわかった。
参加者からクレームをいただいたこともある。フレンドリーな対応はいやだというタイプのお客さまだった。前もってホテルと民泊の違いも理解いただけていなかった。お客さま扱いしてほしいのに民泊では納得いかないなど思い違いが起こってしまった。
民泊という形態を事前にきちんと説明すること、一人参加のときの対応の仕方、お客さまを見定めることの大切さを学んだ。
新たな集客手法の開発
自分でお客さまを集めることにはいろいろと苦労した。その一方で新たに取り組みを始めたことがある。同業者の集まりがあり、幹事をやっている。そうした中で営業大好きでお客さまをたくさん持っている人とご縁ができた。
その人は営業が得意だがオリジナルな旅行企画をするパイプを持っていなかった。例えばハワイ旅行に行くけど大人数家族みんなで泊まれる場所がほしいなどといったケースへの対応だ。
そこを補完する形で協同して仕事を始めてみたところ形になり収益を得るようになった。
一方で同窓会などに積極的に参加するようになった。大学の同期がいて、自分の会社の職員向けに研修旅行をやりたいという話でつながった。まず幼児教育という分野の旅行企画コーディネートを始めた。現地在住の日本人を見つけて企画を立てる。
今つながっている現地在住の方は、ご主人がスウエーデン人で日本語講師をやっている女性。こちらの要望を伝えてそれに合った特徴的な幼稚園をチョイスし視察する。現地の専門家に座学もやってもらう。
参加者した幼稚園や保育園現場の方たちから、ものすごく勉強になったと好評を得ている。幼児教育の目標は地球環境などの国連が掲げた17の分野から抽出。グローバルな視点で地球人としてどうあるべきかを問うものだった。
社会的なやりがいを感じた。次は海外の老人福祉施設をまわる研修企画を手がけることになっている。今後はこうした研修企画旅行にも力を入れていきたい。
新しいものを見てみたい。知らないところへ行ってみたい。行かないとその国のことはわからない。シンプルに自分の興味関心がある。周辺の国に下見旅行と称して行ったりしている。
自分がたのしいことをやるのが一番だと思う。「お客さまを連れていくこと以前に自分が行きたいのが一番ですから(笑)」これはインタビューを傍らで聞いていた奥様の談。
夫婦で協働する介護旅行
妻が手がける成年後見人のお客さまのニーズに合わせ、日帰り旅行にお連れするサービスも行っている。いわゆる介護旅行という分野だ。介護を受けている人を近場の旅行に連れていったり、お墓参りに同行するサービスも行なっている。
月1開催するランチ会はそういう方に定期的に外出したり買い物したりできる場になる。寝たきりのおじいちゃんには毎週DVDを届けている。
週1回誰かに訪ねて来てほしいというのが本当の目的。認知症だが、通っているうちにだんだん頭がはっきりしたり聞き取れるようになった。
おじいちゃんは家族のように同じ人が来るのを望んでいる。介護施設では個人のサポートまで手がまわらないのでそこをやってあげている感じだ。
ビジネス以外にもさまざまな人のつながりができたこと、お客さまがよろこんで元気になるのを見るのが起業して良かったことと言える。
これからも暮らすような旅がベースにしながら、研修旅行など団体へのオリジナルでより社会性のある旅行企画を増やしていきたい。60代半ばを過ぎ、これからがますますたのしみになっている。
定年後の新しい生き方成就のポイント
金銭的なリスクがない起業
起業の失敗確率をもっとも上げるものがお金です。特に初期投資にお金を掛けてしまうと大変な状況に陥ります。
なぜなら起業当初は思ったように収益が上がらないからです。収入がないのに出費は今まで通り。それだけでも苦しいのに、さらに初期投資した事業ローンの返済があるとしたらどれだけのことになるか容易に想像がつくと思います。
現在固定費として発生するものがほとんどありません。失業保険から年金とつながれば最低限の生活はできる。失敗しても路頭に迷うことはありません。最初に掛かるお金で考えても、例えば店舗をやると内装代など戻ってこないお金が発生します。私の場合は外に出るお金はありません。旅行費用もお客さまから前払いでいただく方式にしています。金銭的なリスクのない起業を意識しました
Tさんは言います。多くの場合、自分の店舗や事務所をもつことばかりに意識がいきます。そのためには資金が要る、だから借り入れしないといけない。当たり前のように考えてしまいます。これが大きな間違いです。
スタート時にお金をかけない、スタートしてからもできるだけ固定費は抑える。身の丈のシゴトづくりを成功に導く大原則です。
「だれが」「どうなる」の具体例
ビジネスの根幹に「だれが」「どうなる」という2つの軸があります。商品サービスを提供することでどんなお客さまがどんな価値を得るのかという意味です。この2つが定まっていないビジネスはお客さまに伝わりません。
Tさんの場合は「シニアが元気になる」というものです。大枠はこれですが具体的にどうなるのかを描くことができません。
旅先で足の悪い方をウーバーを使って観光に連れ出したことがある。すると帰国後に、主治医から「筋肉がついてますよ、よかったですね」と言われたそうだ。足が痛いとだんだん運動しなくなる。でも海外へ行くと物珍しさで見たくなって足が痛くても頑張ってしまう
インタビュー内にあるフレーズです。これが「シニアが元気になる」という具体例です。旅行自体ではなく、旅行に行くとどうなるかが重要です。これを価値と言います。
お客さまは商品サービスそのものがほしいのではなく、それを購入することで今抱えている悩みを解決したり、望みを叶えたいと思っています。悩みや欲望はお客さまがどんな人なのかがわかっていないと真意をつかむことはできません。
こうした具体例の積み上げることでお客さまは自分が「どうなるのか」が明確にイメージできるようになります。「だれが」「どうなる」は顧客と価値。その意味を理解してください。
これまでの人のつながりを大切にする
起業したら人脈をつくらないといけない。どうやって広げていけばいいのだろう?だれもがそう思います。でも本当の人脈って何でしょうか?一度考えてほしいと思います。
「研修旅行は大学時代の友人が社会福祉法人の理事長をやっているところからシゴトになっていきました。
60歳を過ぎるとOB会や同窓会に参加するようになります。新しい人のつながりばかりではなく、自分の過去に戻ってみたらいいと思います。中学、高校、大学、前職など元々お互いを知っている人に「こんなことを始めたんだよ」と話してみる。「何かあったら頼みたいね」となったりします。」Tさんの談です。
人脈とは人のつながりです。自分にとってメリットありきで探して見つかるものではありません。お互いの人となりを知っていて、相手のためなら自分の損得を考えず応援してあげようと思えるような関係性です。
人脈を広げるものではなく、つながりを確かめ合うものです。人となりを知り合っている人はどんな人ですか?人となりを知り合うために何をしたらいいですか?ここから始めていきましょう。
収益源を複数つくる複業
「私の場合は、年金に加え、暮らすような個人旅行、民泊、介護旅行をやっています」Tさんの事例です。これを複業と言います。事業を継続していくには複数のシゴトをもった方がベター。それには2つの理由があります。
1つ目は一つだけだとそこで収益が見込めなくなると生活が成り立たなくなるから。その意味で複数の収益源をもっておくことはリスクヘッジになります。
2つ目は興味関心があることをやっていけるということです。やってみたいと思うことにすぐチャレンジできるのが起業の醍醐味。仮にうまくいかなかったとしてもいくらでもやり直しは効きます。
複業にする際に注意しないといけないことがあります。まず物理的にシゴトをまわしていけるのかというキャパの問題です。キャパオーバーは自分の身体に跳ね返ってくることに加え、お客さまにも迷惑をかけることになります。
もう一つがやっている複業が根っこにある自分軸に結びついているか否か。思いつきでやったものは長続きしません。この2つを意識においてやってみることです。
夫婦で協働する
起業へ向け家族の理解が必須ということは何度かふれてきました。理解を超えて一緒にシゴトをするというスタイルもあります。まさに夫婦一心同体という働き方です。Tさんは奥様が手がける成年後見人のお客様のニーズに応える介護旅行サービスを行っています。
「妻がやっている仕事を旅行分野で手伝えるところをやっています」「主人とは仕事仲間。なくてはならない存在です。この仕事をやってもらうのが条件で起業することを承諾したんですよ」と笑って奥様。「起業が成功するのは家族の支え、理解が必須ですね」相互にメリットがある。
「もがいているうちに形になっていった感じですね。何より若くなりました。サラリーマン定年間際は疲れていました。今は毎日活き活きしています。たのしそうだし笑顔が増えました。本当にやって良かったと思います」
とは奥様の言葉。ご夫婦一緒に第二の人生をたのしむ新しい生き方がここにあります。
編集後記
もう6年くらい前になるでしょうか?Tさんと初めてお会いしたときのことを思い出します。「もう会社なんてやってられない。どうしたらいいだろう?」下を向いて眉間にしわを寄せて暗く難しい表情をされていました。
海外で仕事をしていたので通訳でもできないか・・・そんなことを考えていらっしゃいました。「ほんとにそれでたのしい人生になりますか?」と質問しました。「だってそれぐらいしか思いつかないですよ」こんなやりとりだったと記憶します。
今はまったくの逆。持ち前の人懐っこいニコニコした笑顔でたのしそうにいきいきと自分のシゴトについてお話しになっていました。傍らで聴いていらっしゃった奥様との良い関係も印象的でした。
「民泊のお客さまがいらっしゃったとき、『ここが彼の会社ですよ』というとクスクス笑っているんですよ」と奥様。「そうそう、でもね、机とパソコンがあればカンパニーですから」とTさん。これから新しい時代の働き方を表現する名言。心に残るインタビューをさせていただきました。
定年前にすべきこと
仕事に対するモチベーションも薄れてきてただ毎日会社に通っているだけ。職場では親会社から転籍してきて上のポジションに入っていく。自分がやってきた仕事の仕方は通用しなくなる。定年前になり定年後を考えて今のままで良いのか?かといってこの年では転職は難しい。
65歳まで嘱託で会社にいることもできるけどそれも???かといって自分に何ができるのだろうか?モヤモヤしている・・・世の中のリストラ、早期退職、役職定年といった時代背景が反映しています。
じゃあ定年が見え隠れする今、自分に何ができるのかにフォーカスします。定年前と言えば歩んできた人生の厚みが違います。
これまで50年以上で培ってきた経験と人のつながりは他の世代ではあり得ないものです。多くの場合自分ではその経験の価値に気づけません。
会社の中では評価されなくても個人でシゴトをするという視点でいけば活用できるものがたくさんあります。価値は客観的に評価されるものです。真剣に自分のことを考えてくれる第三者からフィードバックを受けないと自分ではわかりません。
そうはいっても食べていけるのかなあ・・・そんな声が聞こえてきそうですね。ちなみに僕は独立したとき住宅ローンは2つガッツリありました。もちろん今もそのまま返済しています。
でもここまで何とかなっています。リスクを考えればきりがありません。新しいことをはじめるなら、多少のリスクを負うのは当たり前のことと受け止めてください。
あとはスタートを大きく構えないこと。身の丈で小さくお金をつかわないやり方ではじめていくことです。定年前は身の丈シゴトづくりのチャンス。そのためにはまず自分を知ること。まずはここから始めてください。
定年前に年金プラスアルファを稼ぐ目標を立てる
50代半ばを過ぎると自分でやる環境が整ってきます。人によって多少の違いはありますが、子供は独立して手が離れていきます。住宅ローンも後半戦もしくは終盤戦になってきます。となると夫婦二人が食べていけることが基盤になります。
退職金も出ます。金額に大小はあってもまとまったお金です。年金も出ます。65歳からだといってもそれなりの金額です。子供たちも巣立っていきます。
収入的には奥さんと二人でそれなりに生活できたらいいわけです。それなら「年金プラスアルファ」の収入でOKですよね。リスクは最小限です。
生活基盤は守る。収入よりも生きがい。「年金プラスアルファ」で自分が本当に好きなことで毎日をワクワクしながら生活する働き方こそベストの選択です。
定年前に同じ志の仲間とつながる
コミュニティには50代から新しいことをはじめたメンバーが50人以上所属します。みんな一様に目がきらきらしています。まずはそんな人たちと接してみることです。「こんな世界があったんだ!」きっと見える景色が変わることでしょう。
そんな人でも最初は定年後に不安を持っていた人ばかりです。毎日目が死んでいる人と会っていても何も変わりません。人は環境でつくられる動物。まずは自ら環境を変えていきましょう。