「自分には何ができるのかわからない」「いろいろなことが気になってこれというものがない」多くの人が悩むところ。自分でシゴトをつくっていく上で最初に考えるべきことがある。それが自分軸だ。なぜ仕事がしたいのか?どんな人に価値を提供したいのか?その答えづくりをしていく。自分軸がかたまっていないと継続できない。継続できないということはいずれ頓挫する。全てを始める前に自分軸を定めていこう。本記事では自分軸の見つけ方についてまとめた。
ぶれない自分軸を定める理由を知る
なぜ自分軸を定める必要があるのか?起業を成功に導くためだ。起業が成功するとはどういうことか。それは継続して取り組んでいることだ。ずっと続けていくためには拠り所になる原点がいる。それを自分軸という。つまり自分軸はビジネス云々の前にあるものと理解してほしい。
起業へのステップを踏み出す。するといきなり迷いの連続になる。特に何をするか決めていく準備段階でその傾向が強い。他人に話を聞くとその方がいいかも?と右往左往。こんなことを繰り返していると一向に前に進まない。迷ったときにそもそも何で起業の道を歩み始めたのか?何をしたかったのか?戻れる原点が要る。
さらに起業スタートすると日々お金を稼ぐことに必死になる。試行錯誤の連続になる。どっちに進めばいいか判断を迫られる場面も多々出てくる。こうしたときに拠り所にするものが必要になる。最後すべてを決め動くのは自分だ。ぶれない自分軸は必須の要素になる。手法やテクニックに入る前に、なぜそのことが必要なのか?目的を明確にすることを忘れないでほしい。
軸がないとこうなる!失敗談
自分軸がないままいろいろなことをやりはじめたら痛い目に遭う。どのくらい痛い目に遭うのだろうか?僕自身が実際に体験した痛手を紹介したい。
「パパ、最初やること決まってなかったもんね」「家にいて毎日走りに行ったり、家事を手伝ってくれたり・・・。今日は何をしようかって感じだったよね」先日、妻と話していてこんなことを言われた。「三宅さん、毎月違う名刺を見せてくれましたよね。なかには本当にこれで大丈夫なんだろうかと思ったときもありました」創業以来サポートしてくれている顧問税理士が昔話をしてくれた。たしかにそうだった。当時を思い返してみた。
これでいくというものがない中、毎日をさまよっていた。とりあえず人と会おうとあちこち出かけたり、セミナーに参加しようとテーマもなく出向いたり、起業前に所属していたコミュニティに顔を出したり。まずは資格と高額の講座に参加したり。あごひげをたくわえサラリーマンの人たちに「起業したら違いますねー」と言われることによろこびを感じたり。今思い返せば、くだらないことばかりです。
目の前で稼げそうなネタに手を出したり、結果、起業1年目はろくな収益も得られず、さんさんたる状況で終わった。サラリーマン時代に蓄えた貯金の全てを失った。はずかしい裏話だ。
この間に何が欠けていたのか?それは自分がどんなことをするのかの軸だ。軸がない人は糸の切れた凧のようなもの。風向きによってあっちにふられ、こっちにふられ。僕の起業初期はまさにこの凧のようだった。起業家にはパーソナルブランディングが必須になる。パーソナルブランディングとは何か?自分自身を売っていけることだ。そのためには何かにとんがっていないといけない。とんがるためには自分としての軸が要る。今の仕事はこのときの失敗経験をもとにつくったものだ。
起業前にこれだけのことを順番を間違えずに実践できたら最短コースを歩めたということを身をもってわかっている。僕はこれらを独立した後、行き当たりばったりにやった。時間とお金をたんまり使った。今思えば当たり前のことだ。あなたは同じことをしてはいけない。起業離陸をスムーズにいかせ事業を軌道に乗せるために時間とお金を有効に使おう。
事例から学ぶ自分軸の重要性
「10ヶ月経った今、これまでに取り組んできた課題をすべて見直してみた。最初の頃つくった自分軸シートにこうしたい!というものが書いてあった。これだったんだとわかった。この間試行錯誤の連続だった。その結果スクールに入るときに思っていたこと、自分として個人で始めようと思った意味に立ち返ることができた。自分として腑に落ちた」
オリジナルビジネスを創出するプログラムがある。一定期間集中して自分としてこれでいくを創り出していくものだ。7ヶ月間迷いながら試行錯誤を繰り返す。上記コメントはとあるメンバーのもの。8ヶ月やってきた後に出てきたものだ。
実施期間中はあらゆる視点で自分のビジネス創りにアプローチする。アプローチの中にはいくつかの質問がある。違った切り口で質問を繰り返す。質問に対する答えを考える。その中から自分はこれだを見つけていく。
途中周囲からのフィードバックもある。他人の意見を聴き過ぎると迷うこともある。場合によってはそもそも何をしたかったのか自分を見失うこともある。それではホンモノとは言えない。他人に何を言われようが情報収集しようが動じない軸をつくる。誰かに教えてもらうのではなく自分で気づくことがホンモノへの証だ。
実際に起業した後も試行錯誤の連続だ。「こんなことをして本当にいいんだろうか?」「これからどうしたらいいんだろう?」思い悩む場面もたくさん出てくる。そんなときにどうしたらいいか?それは自分としての拠り所をつくっておくことだ。
「なぜ自分は起業したのか?」「誰に何がしたかったのか?」迷ったときにいつも原点回帰できるもの。それが自分軸だ。軸が決まっていればぶれることはない。自分軸の決まっていない起業はうまくいかない。起業準備期間中に必ず確定することをおすすめしたい。
自分が熱く語れるものを探す
「何をやって起業しようか?自分がこれだ!と思って起業の軸って何だろう?」何で起業するかを決めることはとても重要だ。安易に決めると途中で必ずブレてしまう。ブレない軸を決めるための方法。それは「自分が熱く語れるもの」は何か?を掘り下げてみることだ。
先日知り合いの起業家と雑談していた。途中から昔話になりました。彼はサラリーマン時代に会社の統合を経験した。まったく文化の違う会社が入り混じる激動の時。彼が当時やっていた仕事は会社成長の屋台骨になる基幹システムの構築だった。
「毎日毎日遅くまで仕事をしていました。周囲のみんなは大変だよねーと言ってくれました。でも僕はそう思わなかった。たしかに多忙でハードだけど面白かったし、たのしかった。考えてみれば今もそうなれるものを探しているような気がする。いつも新しいもの、自分じゃないと誰も手を挙げないようなものに敏感になってます・・・」
彼はその話になると今まで話していたのとは明らかに違う表情になった。まさに「自分が熱く語れるもの」にスイッチが入った瞬間だった。「そこが◯◯さんの原点なんですねー」と言うと、「たしかにそうですねー 今話してみて気づきました。原点を大事にしないとですね!」と自分軸を再認識した様子だった。
人には必ず「熱く語れるもの」がある。ただ自分ではなかなか気づかなかったりする。そんなときは友達と話していて、「何だか今の話になったらいきなりテンションが変わったよね」「さっきまでと話している表情が違うよ」と言われるものに意識を置いてみよう。
あなたが「熱く語れるもの」は何だろう?学生時代の部活でチームが一丸となって成し遂げたこと、仕事でプロジェクトを立ち上げたときのこと、ばらばらだったサークルで何かをやったこと・・・今でも鮮明に当時の情景が浮かんでくるものを思い出してみよう。その中にこそあなたが起業していく自分軸がある。
Whyを繰り返す
自分軸を見つけるために有効な方法がある。それがWhy(なぜ?)を繰り返す方法だ。自分が好きなこと、ワクワクすることを挙げてみる。その理由を掘り起こしていく。
例えばこんな感じになる。僕の場合、焚き火が大好きだ。じゃあなぜ焚き火が好きなのかを考えてみる。心が落ち着く、自然体になれる、素直な自分に戻れるから。じゃあなぜ自然体や素の自分を求めるのか?
ここで過去の経験が重なり合ってくる。サラリーマン時代、自然体で素の自分が出せたときは達成できたしたのしかった。逆にそうでないときは苦労したしたのしくなかったから。じゃあそれはなぜそう思うのか?
そこにいる人一人ひとりの個性が発揮できていることにしあわせを感じるから。逆にそうでない環境にしあわせを感じないから。こうして考えた根っこは「一人ひとりが個を大切にし、持っている魅力を発揮し合える場」がほしいということに到達する。この場づくりをすることが自分軸になる。
木が立っている姿を想像してみてほしい。その木の横をスコップで掘っていく。穴はだんだん深く細くなっていく。その先に根っこがある。そこが木の大元だ。自分を一本の木に見立てたとき根っこはどこにあるのかをWhyを繰り返し掘っていくイメージだ。
自問自答するのも一手だが一人でやっていくには限界がある。そんなときは心ある第三者の力を借りてみよう。「それってなぜ?」「そう思うのはなぜ?」と質問を受ける。質問を受けることでなぜなのだろうと考えられる。ぜひトライしてみてほしい。
幼少時の原体験を振り返る
自分軸を見つけるヒントは幼少時の原体験にある。「厳格な親に育てられ抑圧された子供時代を過ごした」「自由奔放な子供だった」こんな感じだ。三つ子の魂百までという。幼少期は潜在意識の中に刷り込まれている。頭の中で考えるだけでなく文字として書き出してみよう。以下のようなイメージだ。
人見知りで大人しい幼少期
1964年2月29日、広島の県病院でこの世に生を受けた。閏年生まれはその後、格好の自己紹介ネタになった。父親が公務員で生まれてしばらくすると山口に引っ越しした。幼稚園までの記憶は定かではない。今でも情景が思い出されるのは、父親の自転車に乗っていたとき。ハンドルに取り付けた椅子に座って前輪に足を巻き込んで擦りむき痛い思いをしたこと。
なぜそれが思い出せされるのかはわからない。もう一つ、幼稚園の頃、自宅宿舎の裏かその先にあった自衛隊の射撃場で砂を積み上げた中からヤッキョウを衣装懸命拾っていたこと。家の中にいるより、草っ原とかそういう場所で外遊びするのが好きだった。
内向的な小学低学年
小学生になって広島に転校した。公務員の集合住宅で毎日毎日日が暮れるまで遊んでいた。廃棄物を集めた山の中からガラクタを拾ってきてアジトをつくったり、化学実験と称して混ぜ合わせたりしていた。カード欲しさだけでスナック菓子を捨ててしまうことが問題になった仮面ライダーカード集め、コマ回し、貝割りなど昔ながらの遊びが懐かしい。当時大好きだった秘密基地づくりを思い出すと、誰かにも干渉されずに自分の世界をつくっていくことに興味があったことが今になって気づきになった。
いとこの家から犬の首輪を無断で自宅に持って帰ったときは、こっぴどく叱られた。理由は僕がウソをついたこと。無断で持ってきたことを素直に言えず誰にでもわかってしまうようなウソをついた。この頃はよくウソをついていた。ひとえに厳格な父親が怖かったから。怒られるのがいやだったから。
成績が悪いと正座でビンタされた。ちょっとしたいたずらっぽいことをすると怒られる。父親は保護観察官という仕事柄か、自分の息子は絶対非行のない人間に育てようと意識が強く、かなり厳しく枠にはめられた感じだった。そんな環境で、小学生時代はわんぱくな子供とは正反対の萎縮した子供になってしまっていた。
自信をもつ小学校高学年
4年生になると同時にまた転校になった。今度は広島市内だったが新しい環境になじむのに苦労した記憶がある。公務員という仕事の関係で3年に一度の転勤を余儀なくされた。「自分が親になったときは絶対転校のない仕事をしよう」と子供心に感じていた。それまで運動オンチ、背も低く、クラスでも存在感がないタイプ。
5年生から6年生にかけて身長が14センチも伸びた。それまで背の順で前から2番目だったのが一気に後ろから2番目に躍進した。勉強もトップクラス、からだが大きくなったおかげで運動もそこそこできるようになった。6年生のクラスでは今で言うイケメンTOP3に入り、みんなの羨望を受ける存在になった。ちょっと誇らしかった。
一方で自己表現が素直にできない子供だった。「三宅君は何を考えているのかわからない子ですね」当時信頼していた担任の先生が言っていたという言葉はショックだった。もっと普通に自分を出したいけど、うまくいかない。そんな自分にもどかしさを感じていた。「すぐふてくされる」「内向的」こんなふうに言われるのがいやでいやでたまらなかった。
これは僕の子供時代のものだ。文章にすることで忘れてしまった過去が蘇ってくる。実際に書いてみることであの頃の情景が浮かんできた。
先日通りがかりで母親から「何でふてくされてるんだよ!」と怒られて泣いている小学生を見ることがあった。その子の気持ちがわかる気がした。自由がなかったし、個性を出すこともできなかった。好きなことを好きと言えずやりたいことができなかった。忍耐、我慢することこそが大切、子供心にそんな思いだけが残っている。個人のもつ個性をそのまま伸ばしてあげたい、大事にしたいという思いはこうした子供の頃の経験が原点になっているのだと改めて感じる。
個人のもつ個性をそのまま伸ばしてあげたい、大事にしたいという思いはこうした子供の頃の経験が原点になっている」と改めて気づくことができた。このように幼少時の原体験には自分軸を決めるヒントが隠されている。しっかり振り返ってみよう。