メンバー体験談

企業内個人事業主から独立までのプロセス|実践者「生の声」事例

働き方、生き方を変えていくステップは人それぞれ、十人十色です。自分に合った進め方をするのがベストです。ここではサラリーマン⇒企業内個人事業主⇒独立という段階を踏んだメンバーの事例を紹介します。どんな思いでこの道筋を歩んでいったのかを実際の生の声で記しています。(44歳システムエンジニアからセミナー講師|尾関博昭さん)

SEの道を決めた恩人との出会い

高校を卒業して、特に強い思いや目標などがあったわけでもなく、極端に言ってしまえば事の成り行きでアメリカに留学した。アメリカでは6年間、正直うだつの上がらない生活をしてきた。日本に帰ってきた時も達成感はなく、むしろ挫折感の中でこの先どういった道に進むべきか悩んでいた。

そんな中就職活動をスタートした。ちょっと話を聞くつもりで訪問した会社。その社長が強烈な人だった。その場で採用と言ってもらった。ここからSE(システムエンジニア)になる道が始まった。社長からそれまで右も左もわからない自分に世の中の常識を教えてもらった。仕事で頑張るということも実体験させてもらった。社長はそれまでの不完全だった人間を更正してくれたような存在だった。まさに人生の恩人と言える。

それから同僚と一緒に会社をもっと大きくしていきたい、システム開発のより良いやり方を追求したいと思って仕事に取り組んできた。12年経った頃のこと、大手のグループ会社にならないかという話が出た。それと機を同じくして社長がガンになった。当時現場をまとめる立場にいた。グループ会社化への話へ中心になって動いた。

体調が最悪状態の社長を車の助手席に乗せて最終交渉に臨んだこともあった。社長はグループ会社が立ち上がると同時に亡くなった。共にずっとやってきた。いわばその会社を社長から引き継いだような状況に思えた。その会社への思いはものすごく強い。

新しい会社での苦悩

新しい会社になった。社長や部長といった幹部は親会社から出向でやってくる。今までいたメンバーと上層部の間に立って切り盛りする仕事が始まった。グループ会社になったことで顧客である親会社からの無理な注文に対してNOが言えないような状況が続く。大企業のやり方に合わせていくことがメンバーへストレスを与えた。

新人と古参メンバーの価値観の違いによる衝突も起こった。メンバーは会社を辞めたり、病気で倒れたりしていった。こうした状況の中6年間もがき続けた。自分が大切にしていたものがどんどん壊れていくようだった。社長に託されたのにできなかった後悔のような気持ちが残った。かなり行き詰まっていた。

このままではいけない。うつ病になるかもしれない。もっと外へ目を向けないと。そう思った頃、フリーエージェントアカデミーFAAに出会った。それまでは自分を殺して周囲とうまくやるのにはどうしたらいいかだけを考えて毎日を送ってきた。管理職の要望、メンバーの気持ち、親会社の満足感を優先し、自分の立場より周りの人たちがうまくいくように考えていた。FAAにはまず自分があって未来のことを考えている人たちがいた。すごく輝いていた。めちゃくちゃ生き生きしていて格好良かった。

コミュニティに参加するようになった。1ヶ月に1回の定例会に参加してストレス発散しながら、会社を立て直すことに注力していた。一方でこのままの状態はいつまでも続かないのではないかという不安もあった。何年後になるかわからないが、独立を見据えた方がいいと漠然と思っていた。

自分と本気で向き合ってわかったこと

代表の三宅さんからシゴトづくりへ向けてチームで取り組む新しいプログラムが始まることをきいた。会社を立て直すことにこだわりがあったが、背中を押され第1期生としてやることにした。プログラムに取り組む中で自分のことを初めて本気で整理した。

会社や顧客の言いなりになって、自分が本当に大切にしているものを失ってしまうSEをなんとかしたいという思いが込み上げてきた。周りの同僚や部下、後輩であり、自分自身の事だったかもしれない。一方で仕事術を教えていきたいという気持ちもあった。自分と向き合って出てきたこの二つが今も自分の軸足になっている。

一方でFAAの自律インターン制度に乗っかりスタッフ活動も行なった。セミナー企画、告知、申込受付、当日司会進行、参加者フォローと一気通貫で経験することができた。サラリーマンなのでそもそも個人でビジネスをすることなんて全くわからない状態。リアルな運営を実践することでその事業への想いや手順を習得できた。さらに普通は見ることができない裏舞台をみる貴重な体験ができた。ここで学んだことをお手本に自主開催セミナーをスタートした。コラム情報発信による悩み相談、就職イベントのライターなどもやった。そうこうしながら2年が過ぎていった。

ぎりぎりまでやって退職、新しいルールづくりを交渉

ある日のこと、親会社のお役所的システムに嫌気がさすことがあった。ほんとにつまらないことで怒られた。それまでやれることをやってきていた。個人的には自分の立場も後輩に委ねるための世代交代が必要と感じていた。これでもう降りようと思った。上司がキャパを超える仕事を受けてくることに対し、「もうこれ以上受けたら辞めます」と自分のクビを切り札に何度も衝突した。

プログラム受講中にどういうビジネスをやるかはつくり上げていた。「こういうことをやりたいから辞めます」と伝えた。会社側は、自分がいなくなるともたないと思っていたのか引き留め交渉をしてきた。やりとりの末、役職から降りて契約社員になることにした。副業OK、週4日勤務の条件を提示した。結果、新たに企業内個人事業主のルールをつくってもらうことになった。

複業で2本の柱を実践

複業活動が始まった。まずは人脈が必要とSEで個人事業をやっている人にコンタクトを取って会いに行ったりした。毎週金曜はコワーキングスペースでコラムを書いたり、セミナーのコンテンツ作りをする時間に充てた。ある時参加したセミナーでロジカルシンキングを学んだ。たのしいし、これは仕事に使えると直感した。自分なりに習得し社内でも教えるようになっていった。社内勉強会で積み上げたコンテンツを見直し1ヶ月に2〜3回の外部セミナーをスタートした。

ロジカルシンキングの技術を使って、受講者が仕事をする際、ひらめき、思考整理、説明スキルのベースアップを図ることがテーマになる。セミナー受講者がそれまで抱いていた思考整理や説明の苦手意識が克服できるところにゴール設定した。セミナー集客にはいろいろな手法があったが、その中で感触が良かったポータルサイト運営会社一本に絞り、継続して活動していった。

企業内個人事業主としての限界

一方でSEの悩み相談にメールで応えることもスタートした。SEが仕事で直面する悩みや不安について、その本質や他の事例について話をすることで悩み解決のお手伝いをするのがテーマ。相談者は悩みに対して、解決の糸口を見つけることができる。この間に自分の会社も立ち上げた。1年が過ぎていった。

それまで一つの会社しか知らない状態だった。これではSEの悩み相談にも応え切れない。「自分の会社を持っています。企業内個人事業主として雇ってもらえませんか?」という変則的な就職活動を始めた。すると運良く採用してくれる会社が見つかった。その会社にも契約社員のルールがなかった。「この先の時代、そういう働き方があってもおかしくないだろう」ということでルールをつくってもらった。

土日はセミナー開催を継続してやった。参加者目線でハードルを下げることに注力してきた。告知文を修正して結果を検証するなど研究を重ねた。その結果、4年間で142回、受講者575人(2019.8月現在)までになった。この頃、「尾関さん、いったいいつ休んでいるんですか?」とよく訊かれた。実際休んでなかった。自分が企業内個人事業主であることは、現場のメンバーからすれば全く関係のないこと。自分の立ち振る舞いには気を使った。

いくら仕事を時間で区切っても、頭の中は簡単に切り替わらないことも多かった。セミナーの準備が忙しい時に、指示が曖昧な仕事の振られ方をすると、これまで以上にストレスに感じたこともあった。SEの仕事では指示が曖昧なんてよくあることなのに。2年間契約社員として働き、辞めることにした。

フリーランスの道へ

企業内個人事業主方式にピリオドを打ち、フリーランスになることにした。金融系オンラインシステム開発のプロジェクトリーダーでクライアントが指定する内容と期間で仕事を受けるものだ。今までやってこなかったことができ、自由度も効くのでSEとしての仕事をたのしんでいる。団体からのセミナー依頼で地方へ出向くこともできた。プログラミングスクールの知り合いからのオファーもあった。今後、セミナー事業は回数より単価アップしてレベルを上げていくつもりだ。

忘れてはいけないものに家族との関係がある。正社員から企業内個人事業主に代わった頃は収入がガクンと落ちた。子供たちの学費も掛かるタイミングと重なったこともあり、関係がぎくしゃくした時期もあった。時間の経過とともにフリーランスになって収入が良くなったことでやっと理解してくれるようになった。「今期の税金対策どうしよう」と夫婦一緒に考えていけるまでになった。

会社を辞める前にやるべきこと

起業して感じることは、これはやってはいけないという制約がないことだ。可能性は自分次第ということを実感している。そしてこの世界はいろんな人がそれぞれの想いを持って頑張っている。世の中の広さを実感することができた。失敗して当たり前、うまくいかなくて当たり前と考える。うまくいかない事を確認してからが本当のスタート。

道に迷ったり、壁にぶちあたったとしても、それは元にいた位置から踏み出した証拠。受ける評価は相手によっても様々になる。そんな評価に一喜一憂せずに自分が良いと思うものを追求する。比較的自由とゆとりがある会社員でいるうちに時間・モチベーション・実績のある自身のビジネスネタの3つを準備する。そしてある程度稼げる状態をつくることはとても大切だと思う。いきなり会社を辞めて退路を断つなんてしない方がいい。めちゃめちゃ考えることは会社辞める前でもできるはずだ。

企業内個人事業主、フリーランスとこれまでやってきたことはずっとハイブリッド的な活動だ。ただ何か一本だけで食べていけるようになることにこだわりはない。自分がやりやすい方法でいいと思っている。ロジカルシンキングとSEの悩み相談で新しい価値をつくっていきたい。

ロジカルシンキングは、思考をより簡単に、より身近に、より効果的に誰もがロジカルに考えられる世の中にするのが目標だ。そのためのツールと機会を開発し提供していく。具体的には、ロジカルツールを開発して販売する。セミナーも継続していく。SEの悩み相談は、どうすればいいか迷った時に話を聴いてあげられる存在になること。具体的には、情報発信、悩み相談を継続していく。現在は無料でメール相談を受けている。本気で悩んでいる人はガッツリ書いてくる。それには本気で対峙する。社会人最初の会社で社長にお世話になった恩が原点になっている。これからも困った人にはしっかり向き合っていきたい。

働き方多様化コンサルタント三宅哲之の視点

サラリーマンでいるうちにできることをすべてやる

起業というと会社を辞めてからするものというイメージがあるかもしれません。それは間違いです。起業しようと思ったらサラリーマンでいるうちにできることをすべて準備するくらいの気持ちが必要になります。サラリーマンをしながら複業、起業へ向けた活動をすることをハイブリッドと呼んでいます。

「比較的自由とゆとりがある会社員でいるうちに時間・モチベーション・実績のある自身のビジネスネタの3つを準備する。そしてある程度稼げる状態をつくることはとても大切だと思う。めちゃめちゃ考えることは会社辞める前でもできるはず」尾関さんは言います。尾関さんは3年近くもの間、まさにハイブリッドを実践してきた人です。その人が言うのだから説得力があります。

ハイブリッド活動のカベは、なかなか時間がとれないこととモチベーションが保てないことです。通常の仕事をしながらですから限られた時間で自分のことをやっていくことになります。やると決めた以上は何としても時間をつくり出すしかありません。与えられた時間は24時間みんな同じです。他のインタビューでもあったように朝時間を有効に使う、週末時間の使い方を変える、スキマ時間を見直すなどをやっていきます。

モチベーションは一人で保つのは難しいです。同じ志の仲間をつくって、そうした場に定期的に顔を出しお互い話をすることが必須になります。もう一つが実績づくりです。実績とはいくらいくら売ったとか大手と取引したとかそういうことではありません。こんなことで困っているお客さまにこんなサービスを提供して、その結果こうした状態になったというものです。

ハイブリッド期間中は、無料やモニターで安価で提供し、「お客さまの声」を集めていくことです。その積み重ねが大きな実績になっていきます。同時にお客さまからのフィードバックがもらえ商品サービスを磨くこともでき一石二鳥です。お金と自由にゆとりのあるサラリーマン時代をどれだけ有効に活用できるかが起業スタート後に効いてきます。

新しい働き方の先駆者

起業するには会社を辞めて一本でやっていく。他に選択肢はありませんでした。今時代は変わっています。働き方改革で副業解禁も広がりつつあります。一部の先進企業ではそんな動きもあるようですが、まだまだ実態は旧態依然としたままです。副業がバレたら困るのでどうしたらいいの?そんな相談は後を絶ちません。

そんな中、今いる会社との雇用形態を変えて、複数の仕事ができる状態をつくる新しい働き方があります。副業ではありません。「複業」です。本文で紹介した尾関さんは正社員から企業内個人事業主という形態に変え、並行して自分がやりたいことを進めていきました。そのたび毎に「働き方のルールを新たにつくってもらう」ことを会社と交渉実現してきました。

1社目は大手でした。「副業OK、週4日勤務の条件を提示。結果、新たに企業内個人事業主のルールをつくってもらうこと」になりました。2社目では、「この先の時代、そういう働き方があってもおかしくないだろう」と会社側の意識を変えるところまで踏み込みました。こうした足跡は自ら働き方を切り拓いた先駆者と言えます。

これからは会社としてルールをつくる時代です。副業を容認すると社員のやる気が下がるとか社内情報が漏洩するなんてちんけなことを言っている会社は淘汰されていきます。会社側は個人を尊重し、その人の個性が存分に発揮できる環境をつくること。一方、働く側は単に自由を得るのではなく責任をもって自律した仕事で会社に貢献していくこと。働き方の多様化を実現する世の中にしていきましょう。

編集後記

尾関さんと初めて会ったとき、まだ起業という言葉はありませんでした。とにかく今いる自分の会社の状態を何とかしたい。苦しんでいる部下を救ってやりたい。その思いで一杯の状態でした。いつまでもそrでは一進一退になると思い、新しいプログラムスタートに合わせ一緒にやろうと伝えました。その時もまだ会社に未練を残している様子だったのを思い出します。

その後、真摯に自分と向き合い、FAAの運営にも携わっていただきました。「尾関さんの言ってくれたひと言が今の自分の原点になっています」多くのメンバーからきくほどメンバー思いで信望の熱い人です。一本でやっていくという人が多い中、収入面を確保するためにハイブリッドで複業するスタイルを実践してきました。まだ働き方改革なんて言われていない頃のこと、そのやり方には関心を持っていました。現在もまだ発展途上、これからの展開がとてもたのしみな存在です。

全国どこからでもご自宅からお気軽に